〔愛宕下(あたごした)〕の伸蔵・元締
「長谷川の若さま。ご尊父は、火盗の助役(すけやく)をお勤めでございましたな」
土地(ところ)一帯の香具師の若元締・〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 40歳)が、母親・おくらゆずりの巨躰にちょこんと乗っている顔をかたむけて訊いた。
「さようです」
銕三郎(てつさぶろう 26歳)が応える。
「それならば、芝は、お助役のお持ち場。お引きあわせいたしたい仁がおります」
「元締のご推挙の仁とあれば、よろこんで---」
「では、近ぢか---」
重右衛門が推したのは、芝の飯倉神明宮や増上寺、愛宕山下などの一円を取りしきっている{愛宕下(あたごした)〕の伸蔵(しんぞう 41歳)元締であった。
(飯倉神明宮 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
【参照】火盗改メの本役・助役の巡邏区分は、2008年2月28日[銕三郎(てつさぶろう) 初手柄] (2)
香具師の元締だから、闇の実情につうじている。
盗賊や博徒という裏で生きている輩が相手の火盗改メとしては、香具師の元締と知りあっておくことは、裏街道の地図の持ち主とこころ易くなったのにひとしい。
芝・増上寺の表門---通称・大門前で落ちあい、重右衛門に案内されて行くと、伸蔵は、北新網町の小じんまりとしたしもた屋に住んでいた。
(赤○=北新網町 池波さん゜愛用の切絵図:近江屋板)
虚飾をはぶいた質素なその構えからして、人柄をしのばせたが、家の前にちゃんと水がうってあるのに、銕三郎は好感をもった。
もっとも、
(血なまぐさい出入りごとも取りしきる香具師の元締が、きれいごとだけですまされまいが---)
疑問もおぼえなかったというと、嘘になる。
裏庭が見渡せる部屋へ通された。
伸蔵は、庭での五蓋松(ごがいのまつ)の手入れをやめ、細身の躰を蛙が跳びでもしたように身軽に縁側へ跳びあがると、そこにぴたりと座り、
「お初にお目もじつかまつります。伸蔵と申します」
丁寧に仁義をきった。
銕三郎も、あわてて座布団をはずす。
「長谷川銕三郎です。いまだ、部屋住みの若造です。お見しりおきを---」
〔音羽〕の重右衛門が、
「そこからでは話が遠すぎます。こちらで、ご両人とも、おくつろぎを---」
「あの鉢の五蓋松は、樹齢150年といわれており、手前の4倍近い長寿です。老父をいたわるよりも手あつく、孫の代まで生きていてもらうように、照ったといえば日陰に寄せ、降ってきたらきたで軒下へ移して、護っております」
ふところの深さを感じさせる、ゆったりと愛情をこめた口ぶりに、銕三郎は、さらに印象を深めた。
「孫の代まで---と言われましたが、ご子息は?」
銕三郎に、伸蔵が、手を打って用意の膳を催促するとともに、
「伸太郎をここへ---」
商人が好んで着るような濃紺地に細縞をきっちりとまとった、20歳前後らしい青年が、部屋の隅で正座し、客たちに向かって一礼してから
「父ご。なにかご用で---?」
「おう。いい機会(おり)だ。〔音羽〕の元締の隣りにおいでなのが、長谷川の若さまだ。こんご、なにかとお教えをいただくように、ごあいさつをしなされ」
「伸太郎でございます。お噂は、かねがね承っておりました。どうぞ、ご配下の衆同様にこき使ってくださいますよう---」
なかなかにできすぎたあいさつふりであった。
銕三郎も、
「部屋住みの銕三郎です。このあたり、父の巡視の供をすることもあります。ご助力ください」
「いつにても、お声のままに---」
銕三郎の頼みは、3ヶ月もたたないうちに実現した。
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