化粧(けわい)指南師のお勝(9)
「手職(しごと)で草臥(くたび)れきっていたのに、銕(てつ)さまとこうしていると、生き返ってきました」
「睦みあう力もよみがえってきたと---?」
「はい」
太腿におかれたお勝(かつ 31歳)の掌(たなごころ)が、そろりと股へ動いた。
「その前に、すましておきたい話がある」
銕三郎(てつさぶろう 27歳)があらたまり、
「父上が、数日後に町奉行所の役宅へお入りになる」
「銕(てつ)さまの奥方もごいっしょですか?」
「うむ。息・辰蔵(たつぞう 3歳)連れだ」
「では、しばらく、お会いできなくなりますね」
「拙は、父上についてあいさつ廻りに追われるとおもう。松造(まつぞう 21歳)のつなぎ(連絡)も、役所が退(ひ)けた七ッ(午後4時)以後、陽の落ちの早いこの季節だと、〔延吉屋〕の表戸がおりる七ッ半(5時)すぎとおもっておいてもらいたい」
指の動きを止めないお勝は、眸(め)をふせたまま、うなずいた。
銕三郎は、それにかまわず、押小路のしもた屋があくこと、家賃は半年分先払いしてあることを告げ、
「炊事・せんたくとか掃除が負担になるが、住まっておいてくれるか?」
「来てくださるのですね?」
「約束はできないが---」
「炊事や掃除は、通いのばあやを頼みます。夜はひとりでいます」
「〔延吉屋〕まで、片道8丁ほどの往来になる---」
「堺町通りはずうっと町屋つづきだから、宵の口なら、灯も洩れていましょう」
「そうか。住んでくれるか」
「出会茶屋の部屋代くらいは稼いでますが、いちいち、探す手間が省けるだけでも気が楽ですもの」
「それから、預かっておいてほしいものがある」
「なんでしょう?」
「お竜(りょう)の分骨の壷だ。あの家においてある。数年のちに、江戸へ帰ったとき、わが家の墓へ納めてやりたい」
「私のときも、そうしてくださいますか?」
「とうぜんだ」
「うれしい。きっとですよ」
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コメント
縁者がみんな見ているときにお竜の納骨はむずかしいから、一人でひっそり戒行寺をおとずれ、墓石屋を呼んで納骨したでしょう。
自分の死をさとったとき、辰蔵へ、「久栄に言えない子どもの骨壷がある。その横に納めてくれ収めてくれ」と頼んだか。
投稿: 左衛門佐 | 2009.09.01 06:02
>左兵衛佐 さん
いまのたいての墓石は、アカ台をどかすと、納骨室が見えるようになっていますが、江戸時代の400石クラス---あるいは、従5位下(宣雄)の旗本の墓はどうなっていましょうか。大名家の奥方・姫・息たちの墓は残っていますが、幕臣は明治に失職してしまっており、明治末期の戒行寺の墓域移転のときに長谷川家は立ち会いにこなかったといいますから、無縁仏となってしまいました。
ですから、当時の墓が残っていないので、確かめようがありません。
投稿: ちゅうすけ | 2009.09.01 07:58