火盗改メ・庄田小左衛門安久
「佐野の兄上。火盗改メの助役(すけやく)にお就きになった、庄田(小左衛門安久 やすひさ 42歳 2600石)さまのことを、お教えください」
長谷川平蔵宣以(のぶため 28歳)が、西丸目付・佐野与八郎政親(まさちか 41歳 1100石)の下城時刻をみはからい、永田馬場東横寺町の屋敷を訪ねている。
佐野の兄上---と、こころやすげに呼んでいるのは、亡父・宣雄(のぶお 享年55歳)が生前、一人っ子の銕三郎(てつさぶろう 跡目相続前の通称)のことをおもんばかり、与八郎に兄代わりを頼んだ。
そうした、へだてを感じない仲なので、目付という役目がら、客を嫌わねばならない立場にもかかわらず、与八郎は、平蔵の来訪を歓迎してくれる。
平蔵の盃を満たしてやってから、
「庄田うじのなにが訊きたいのだ?」
きのう、組(先手・弓の3組)の同心・脇田祐吉(ゆうきち 29歳)が庄田組頭の遣いといってやってき、
「組頭がお待ちになっているゆえ---」
いまは火盗改メ役宅となっている、築地・万年橋東の屋敷へお越しねがいたいと言われたので、明日、参上するつもりだが、
「なにしろ、突然のことゆえ、庄田さまのご気性も存じあげないので---」
(青○=庄田邸 左の緑地=采女ヶ原馬場、右=西本願寺)
2人の前には、それぞれ、夕餉の膳が配されている、といっても、たいした料理ではない。
披露できるのは、蛤と蛸の酒蒸しとしらすのたまり醤油煮ぐらい。
来客あつかいではないのである。
それだけに、平蔵も気楽に訪問できた。
「あのご仁は、400俵の分家から、2600石のご本家へ養子におはいりなったから、万事につけて硬くお考えになる。こたびの火盗改メも、冬場の助役なのだから、気軽におこなしになればよろしいのに---」
「兄上。父上も発令は助役でしたが、それなりに重くうけとめておりました」
「そうであったな」
「いちど、夜の見廻りのお供をしたことがありますが、辻番所や町役人などがあいさつに待ちうけており、ものものしゅうございました」
【参照】2009年6月19日[宣雄、火盗改メ拝命] (6)
しばらく雑談をしていると、
「銕(てつ)どの。一橋北詰の火除けの茶寮のことは、もう、いいのか?」
与八郎のほうから切りだしてきたので、瞬間、平蔵はひやりとした。
以前、お竜(りょう 享年32歳)とのことを、やんわりと諭(さと)されたことがあった。
【参照】2008年12月20日~[西丸目付・佐野与八郎政親] (1) (2) (3)
、
里貴(りき 29歳)とのことが、もう、バレているはずはないとおもいなおし、
「兄上から、営内でも禁句と教わりのしたゆえ、放念しました」
「うむ。そうそう、近く、田沼(主殿頭意次 おきつぐ 55歳 老中)侯の別邸に呼ばれた。銕どののところへも、お誘いがあるはず。こころしておくように」
佐野邸を辞したのは六ッ半(午後7時)ごろであった。
松造(まつぞう 22歳)は、飯どきだからと遠慮し、提灯を置かせて、先に帰した。
(これから御宿(みしゃく)稲荷に参詣すれば、里貴も帰っているころあいだな)
足は自然とお堀端ぞいに三河町へ向かっていた。
里貴の家に、ほかの男がきているなどとは、おもいもしなかった。
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