〔蓑火(みのひ)〕のお頭(12)
下城の帰り、鎌倉町横丁の角で足袋・草履をあきなっている〔遠州屋〕へ立ちよるのが、平蔵(へいぞう 30歳)のきまりになっていた。
〔遠州屋〕は、老夫婦がやっている小さな店で、むすめと婿夫婦は神田須田町で草履問屋をやっているとのことであった。
店の横の3畳の部屋を借りたとき、長谷川と名乗ったら、「あの、行人坂の大火の火付け人を逮捕してくださった火盗改メの長谷川さまのご縁の方かと訊かれ、そうだと応えたら、一もニもなく承知してくれた。
大火にあったが、むすめ婿が店を再建してくれたと自慢もされた。
3畳の間では話もできはないから、万吉(まんきち 24歳)と啓太(けいた 22歳)をいちいち竜閑橋北詰の茶店へつれだすのは不便でもあったが、そのうち、心得て、時刻になると、2人は先にきて茶を飲んでいるようになった。
2丁西の御宿(みしゃく)稲荷脇の里貴(りき 30歳)の家で打ちあわせることも考えたが、なにも2人に里貴との仲を教えることもないと断じた。
この日、万吉が新しい報らせを告げた。
見張っていた〔尻毛(しりげ)〕の長吉(ちょうきち 31歳)が動いたといった。
「指の脊ぇまで毛むくじゃらどしたよって、まちがいおまへん」
7日前に平蔵が尾行(つ)けたのとまったく逆の道順をたどり、外堀端から南大工町と南鍛冶町のあいだの道を南伝馬町2丁目へでる手前で、あたりに人影がないのを見すまし、猫の鳴き声を真似たという。
すると、商家の裏手とおもえる路地から、50男があらわれ、何かを手わたし、ちょっと会話してすぐに別れ、〔尻毛〕はそのまま、引き返したというのである。
「万吉どん。でかした」
「その商家、両替屋で〔門(かど)屋〕いいます」
平蔵が、にっこりと面持ちをくずし、
「見張りはそこまでだ。〔遠州屋〕を引き払おう。ついでに、そろそろ、貞妙尼(じょみょうに 享26歳)ことも忘れられたころあいだ、〔音羽(おとわ)〕の元締にお願いして、京へ戻してもろおう」
顔をみあわせた万吉と啓太は、複雑な表情をし、
「どないしても、京へ戻らなあきまんやろか?」
「なんだ、なじみのおんなでもきたのか?」
そうではなく、平蔵の下で密偵の仕事をつづけたい、という。
「それはいかぬ。おれは平の書院番士として出仕して2ヶ月にもならぬ。火盗改メになるのは30年も先であろうよ」
2人はしょげかえった。
【ちゅうすけ注】平蔵が実際に火盗改メを下命されたのは30年先ではなく、22年先ではあった。
〔遠州屋〕の老夫婦に、礼として小粒をひとつひねって押しつけ、その足で日本橋通3丁目箔屋町の白粉問屋〔野田屋〕へまわった。
★ ★ ★
『週刊 池波正太郎の世界 20 幕末新撰組/近藤勇 』(朝日新聞出版)が送られてきた。
タイトルにもかかわらず、巻末[わたしと池波作品]は『鬼平犯科帳』で久栄夫人役の多岐川裕美さん。
ぼくは撮影所で出をまっている裕美さんを見かけたことがある。
鬼平の居間からつづいている廊下が左手へおれたセットで、この日はカメラが狙わない場所の椅子に、引く裾をまくって坐り、30分間ほどもじっと動かないで、役への没入をしているふうで、役者さんもたいへんだなあとおもった。
ぼくだって、このブログを書くためにパソコンへ向かう前には、手当たりしだいに文庫『鬼平犯科帳』をとりあげ、どのページでも開いて数ページ読んでから、キーをたたきはじめる。
【参照】2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] (9) (10) (11) (13) (14) (15) (16)
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