長野佐左衛門孝祖(たかのり)(2)
「滝がいかにも涼しげで、ほっとします」
いつもの滝がおちている部屋へ、みずから案内してくれた〔美濃屋〕の亭主・源右衛門(47歳)へ、平蔵(へいぞう 29歳)が感謝した。
ほかの客の指名を断ってあててくれたことがわかっているからである。
九段坂からひとつ北、飯田町中坂下の角の料亭〔美濃屋〕のその座敷は、坂を利用した滝が望め、滝つぼには菖蒲が、遅咲きの花を、まだ、のこしていた。
「長谷川さま。ご出仕、おめでとうございます」
祝辞をのべた源右衛門が、
「こころばかりのお祝いをさせていただきます」
そろそろ、浅野さまがお見えでございましょうと、如才なく引き上げていった。
廊下に人影がないのをたかめ、声をひそめた平蔵が、
「お主、おんなができたのか?」
「さすがに、鋭い」
長野佐左衛門孝祖(たかのり 28歳 600俵 西丸・書院番第3の組)が苦笑した。
「それで、先刻、おれに鎌をかけてきたな」
孝祖が応えかけたとき、女中がお連れさまがおみえになりましたと告げたので、平蔵が指を口にあてて制した。
浅野大学長貞(ながさだ 28歳 500石)が座についたところで、源右衛門が女中に角樽をもたせてあらわれ、
「長谷川さま。おめでとうございます。きのう、灘から新川に着きました新酒・剣菱でございます。冷やでお召しあがりくださいませ」
銚子に入れ替えてまいります---とさげた。
乾杯をすませ、
「浅野のところには、まだ、出仕のご奉書がまいらぬか?」
「小姓組は、書院番とちがって組数が少ないから、なかなか、空(あき)がでないのだよ」
長野の問いを横取りした平蔵がなぐさめた。
浅野は名流である。
赤穂浪士を生むことになった内匠頭矩(なかのり)は、長貞の祖父の実兄にあたった。
病身の兄に代わって家督したが、母親が正室でないことが障壁になっているようにも見受けられた。
そこのところを、平蔵がかばったのである。
話題が途絶えたところで、平蔵が京都でやって成功した[化粧(けわい)読みうり]のことを話した。
「その、化粧指南師をして稼いでいるお勝というのが、平蔵に貢いでいるのか?」
(今夕の中野孝祖は荒れている)
「はずれ。お勝はおんなおとこ(女・男)でな、男を受けいれない」
「しかし、貢ぐことはできる」
「佐左(さざ)、言葉がすぎるぞ」
さすがに浅野長貞も我慢ならずにたしなめた。
また会話が絶えた。
料理に専念せざるをえなかった。
「佐左。お主の先刻の件、大学に話してもいいか?」
「いや、自分で話す---」
箸を置いた孝祖が、室が3人目にやっと男の子を産んだのはいいが、難産で産道の口が元どおりにならなくなった。
それで、寝屋のこともままならなくなり、小間使いに代わりをさせたところ、室の悋気がひどいのだと。
「深刻だが、そのことで、平蔵にあたるのはよくない」
浅野大学が、もちまえのやさしい声でたしなめた。
「わかっている。平蔵のようにうまくやれないから困っているのだ」
「おいおい。言うに事欠いて、おれがうまくやっているなどとは、いいがかりだぞ」
「すまぬ。ところで、平蔵。おれの家で話しこんだことになっている夕べは、いったい、なにがあったのだ」
「白状すると、室がいま6ヶ月なもので、佐左の家の近くの菜畑で息抜きをしていた」
「お互い、悩みはあるわけだ」
笑って、氷解した。
神田明神社の脇、湯島2丁目に菜畑と呼ばれる娼家が5,6軒あった。
★ ★ ★
例によって、きのう、週刊『池波正太郎の世界 16』[鬼平犯科帳の世界 四]が届いた。感謝。
中 一弥さんの表紙は、[密偵たちの宴]の場面。「作品の舞台裏」は、『オール讀物』の担当編集者だった名女川勝彦さんが、肩入れしたいたおまさの登場が、連載3年目の[血闘]で遅かったと指摘しておられる。
そのわけを、(2995.03.03);に[女密貞おまさ][テレビ化で生まれたおまさと密偵] で推理している。
このほか、尾美としのりさんの[しぶしぶ引き受けた忠吾役から学んだこと」が新鮮。
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