筆頭与力・脇屋清吉(きよよし)
「長谷川さま」
西丸の大手門を出たところで、声がかかった。
声の主は、先手・弓の2番手組の筆頭与力の脇屋清吉(きよよし 47歳)であった。
「お差支えなければ、軽く---}
脇屋与力は、人のよさそうな笑顔でさそった。
平蔵(へいぞう)は、供の桑島友之助(とものすけ 43歳)や松造(まつぞう 24歳)たちに先に帰るように指示し、内濠沿いに北へ歩いた。
弓の2番手は、いま、火盗改メのお頭が菅沼藤十郎定亨(さだゆき 46歳 2025石)で、屋敷は小石川大塚吹上---護国寺前からの富士見坂上である。
組屋敷は目白台だから、どっちにしても大手門からは北へ行くしかない。
「一橋の北詰に、ちょっとした茶寮があります。そこでよろしいでしょうか?」
「なにしろ、祖父の代から目白台に住みついておりますので、こちらあたりはとんと---」
謙遜の辞に、平蔵は、内心で舌打ちした。
火盗改メの守備範囲は府内一円はおろか、関八州にまでおよんでいる。
市中身廻りも仕事のうちである。
適当な屯所の三つや四つは、城まわりにあるはず。
「お城へご用でも?」
「評定所に呼びだされましてな、お頭の代理で弁じてきました」
幕府の最高裁判所ともいえる評定所は和田倉門の東、道三河岸に面していた。
そこから大手門までは、8丁(約1km)近くはある。
(わざわざ大手門まできたということは、おれに用があったのだ)
しかし、茶寮〔貴志〕に落ちつくまでは、用向きの話題は避けておくにかぎる。
〔貴志〕では、平蔵を認めた女中が、ころがるように、
「女将さーん」
帳場から出てきた女将・里貴(りき 31歳)に、
「予約をいれていないが、いいかな?」
形だけ訊いてやった。
「ようこそ、お運びくださいました。すっかりお見かぎりと噂をしていたところでございます」
里貴も調子をあわせながら、脇屋の値ぶみをしている。
脇屋清助は、恰幅はいいし、温顔で目もふだんは細めているが、ときにまぶたがあがったときの眼光は鋭い。
「力になってくださるお人でな、火盗改メ方の筆頭与力さまだ」
「なにをおっしゃいます。手前どもの組のほうが、お力添えをいただいております」
「ま、ごあいさつは、お部屋へお通りになりましてから---」
平蔵の側に並んで案内しながら、それとなく触れていた。
並べてつくにられた席の前に、里貴が向きあって饗応するが、ともすると、笑顔が平蔵にそそがれた。
酒と料理がでても、脇屋与力は話をきりださなかった。
つききっりの里貴のせいと察した平蔵が目顔でしらすと、
「また、お伺いいたします」
たくみに座をはずした。
「きれいな女将ですな」
「田沼(意次 おきつく゜ 57歳 老中)侯のお声がかりです」
「われわれは相手になりませぬな」
脇屋語ったところによると、8日ほど前、四谷の南寺町の麟勝寺が山門の落成祝いをした晩に、奇妙な賊が押し入った。
庫裡にしのび入り、深酒で寝入っていた寺の者みんなを目隠しをしたうえで、住職を本堂へつれだし、須弥壇の裏に隠してあった山門の建て替え金の残金250両を持ち去ったという。
押しこんできたのは8人ほどらしいが、起きたとたんに目隠しされたので、はっきりしなかった。
平蔵の脳裏には、6年前にかかずらわった谷中の大東寺の事件が浮かんだが、黙って脇屋与力の語りに耳を傾けていた。
語り終わらなければ、どういう依頼かわからないからもあった。
【参照】2009年2月2日~[{高畑(たかばたけ)〕の勘助] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
脇屋の話が終わったときには、銚子が空になっていた。
手をうつと、待っていたように、里貴が新しいのを捧げてあらわれ、
「お熱いところをお酌させてくださいませ」
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