菅沼藤次郎の初恋
「先生。お教えください」
稽古を終えた菅沼藤次郎(とうじろう 12歳 7000石)が、いつになく真剣な面持ちで切りだした。
並んで井戸水で汗を拭いていた平蔵(へいぞう 30歳)が眸(め)を向けると、
「このごろ、道場仲間が隠しもってきた絵を示されると、股間があつくなるのです。どうしてですか?」
顔も赤らめずに問うた。
(北斎『ついの雛形』 イメージ)
平蔵の指導で、剣術の基礎もでき、体力もついたので、毎日の稽古は小野派一刀流の直流、若松町の竹尾太吉道場へ通っている。
この日、母親の於津弥(つや 36歳)は、またも昨日から、召使いのお菊(きく 17歳)を伴い、東本所四ッ目の別邸へ泊りこみででかけており、留守であった。
【参照】2010年4月18日~[お勝と於津弥] (1) (2)
そういえば、姉が湯を使っているのを覗き見したがっていると、お津弥が笑いながら告げたことがあった。
「姉上の入浴姿を見たときも、あつくなるか?」
「いいえ。なりません」
「どうして---?」
「乳のふくらみが小さいし、股がまだ黒くなっておりません」
あっけらかんと応えた。
「でも、小間使いのお菊の下腹は絵のおんなのように黒かったので、あつくなりました」
「見たのか」
「はい。母上の寝所から厠へいくとき、前をあけておりました」
「それは、いいことだ。藤(ふじ)どのに、男としての力がみなぎってきておるのだ。男としての力が満ちてくれば、剣も、さらに強くなる。だから、お菊のことは忘れよ」
辻褄のあわない返事をしていたが、2人ともそのことに気がつかない。
「先生。夜、床(とこ)へはいっても、絵のおんなの姿をおもいだすと、股のものが硬直します」
「そこにこそ、男の力が宿っておるのだ」
「でも、絵のように太くも長くもありませぬ。藤---拙の、いまのままの大きさでは、描かれているようには、おんなの股へはいっていけぬとおもいます」
まじめに訊いた。
「女の股へはいると、どうなるとおもうのだ?」
「道場の齢上の方々は、この上なく、気持ちがよくなると---」
「そうだな。男の力が、おんなのほうの気持ちに火をともし、気分よくさせられる。だが、藤どのの齢では、まだ、そこまではいくまい。もう少し、待て」
「はい」
それからまた、藤次郎が口をひらいた。
「先生」
竹尾道場の仲間の有馬熊五郎(くまごろう 14歳 3000俵)とは、屋敷が近い。
道場帰りに浜町堀ぞいに、小川橋をわたり、松島稲荷(現・中央区人形町2丁目)の前をすぎて屋敷へ寄り、しばらく話しこむことが多い。
(赤○菅沼邸 緑○松島稲荷 青○有馬邸 尾張屋板)
茶菓子の給仕をする熊五郎の妹・智津(ちづ 13歳)を見染(そめ)たらしい。
兄・熊五郎にいわせると、
「あんなお多福のどこがいい?」
藤次郎にとってみると、下ぶくれのところに、なんとも色気をおぼえ、股間があつくなりかかるという。
「乳でも見たのか?」
「とんでもございませぬ」
「見てはおらぬ? おかしいではないか。姉上のふくらんでいない乳ではあつくならないのに、見てもいない智津とかいうむすめにはあつくなる---」
「拙も不思議におもっております。股間のものは、竹刀と異なり、自分のおもうようには扱えませぬ」
「そのことがわかっただけでも、藤は大人のおとこの領域へ一歩゛近づいたということであろうよ」
平蔵は、自分が14歳の夏、若後家・お芙佐(ふさ 25歳)のみちびきによって男の関門を負い目なく通過できたことをおもいだしていた。
【参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙佐(ふさ)]
負い目なくとは、失敗めいた結果にならず、内心、恥ずかしいおもいをしないで---つまり、心に傷をつくらないで、ということである。
初手の交合は、おんなにとっても、男にとっても、それほど、心の怖れをともなった。
この先、藤次郎をみちびき、とどこおりなくすましてやるのは、智津ではあるまいが、いまは黙って、幼い恋の行く手を見守っていてやるしかない。
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コメント
銕三郎のイタ・セクスアリスが終わりに近づいた気配におもっていたら、なんと、13歳の藤次郎のイタ・セクスアリスですか。いや、性の悩みはつきませぬな。
投稿: 左衛門左 | 2010.05.20 05:58
>左衛門佐 さん
お久しぶりです。お変わりなくお過ごしでしたか?
物語は主として、性(恋愛)、死、人の運命を描きます。
とくに、銕三郎もやっと30歳、まして藤次郎は12歳、やって男女のなんたるかがわかってくる年齢になりました。
久栄も23歳、里貴は31歳、お勝は34歳の女(?)ざかり。
まだまだ、いろいろ、ありそうですね。
投稿: ちゅうすけ | 2010.05.20 12:42