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2010.12.31

〔三ッ目屋〕甚兵衛

桜花(さくら)が早緑(さみどり)にかわり、深川の堀の水面が靄ってみえるころ、平蔵(へいぞう 35歳)は、一夕を〔季四〕へ招かれた。
招いたのは火盗改メの組頭・(にえ) 越前守正寿(まさとし 40歳)であった。

贄家は紀州藩出身で、老中・田沼主殿頭(おきつぐ 62歳 相良藩主)とも音信があるということで、女将・里貴(りき 36歳)もかなり緊張して奉仕しているのが、平蔵の目にもはっきりとわかった。

越前守は、偉ぶったところを微塵もみせず、平蔵がくつろげる気くばりを示した。
「町奉行どののほうは、偽の人参を高麗ものと偽った罪で所払い、こちらは盗品を売買したということで島送りとの伺いあげた」
「盗賊の一味との自供はとれませぬでしたか?」
にやりと平蔵をみた 組頭は、
長谷川うじは、お上(家治 いえはる 42歳)が、有徳院殿吉宗 よしむね 享年68歳=宝暦元年)同様、深夜まで、評定所(幕府の最高裁判所)やそれぞれの奉行所の評決をお改めになっていることをご存じかな?」
「いえ---」
「お上の伽衆や小姓としてお側近くお仕えしたわれが、疑いだけで証拠もなしに重刑を科するわけにはいかぬ」
「恐れいりました」

里貴の酌でしばらく快げに盃を重ねながら、紀州のうわさをしていたが、
長谷川うじの示唆で、捕らえることができた〔三ッ目屋〕一統であるが、奥医・多紀(たき)法眼どのの被害であったので、お上はことのほかご機嫌であったと洩れてきておっての」
「それはよろしゅうございました」
「ついては、お礼だが---」
「その儀は、多紀さまから過分に---」
「いや、そうではない。長谷川うじを、とくべつに、〔三ッ目屋〕の主・甚兵衛を尋問させる機会をつくろうとおもってな」
「は---?」
「西丸の書院番頭・水谷(みずのや)出羽 勝久 58歳 3500石)どのには話はとおっておる。日時をお決めあれば、その前後3日の休仕を、与頭・牟礼(むれい)(郷右衛門勝孟 かつたけ 60歳 800俵)うじと、われのほうの脇屋清助(きよよし 52歳)がとりはからう」

(なにかの試問かも---)
平蔵はその疑念をふりはらい、
「ありがたき好機にございます」
「やってくれるか?」
「はい。よろこんで---」
里貴が、ほらほらといわんばかりの双眸(りょうめ)で微笑んでいた。

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コメント

今年もいろいろとお教えいただき、ありがとうございました。

ことし登場した人物では、とくに、贄 越前守正寿に興味をひかれました。これまで、ほとんど名前も知らなかった人ですが、家治のお伽衆にえらばれたほどの人物です。
おそらく、吉宗の直接の教育もうけていたでしょう。

これから、史実をさがす勇気がでてきました。

それともう一人は里貴さん。会ってみたいヒロインです。

よいお年をお迎えください---ではなく、来年もすばらししい平蔵さんにお目にかからせてください。

投稿: 左兵衛佐 | 2010.12.31 05:24

>左兵衛佐 さん
贄 越前守正寿に関心をもっていただき、ありがとうございます。
なかなか、ユニークな幕臣(役人)だったとおもいます。任地の町人たちから留任嘆願書が上呈されるなんて徳川270年でも異例ですし、再任されると、その地で没するまで勤めたんですから。
町人には役人の鑑ですが、当人はどう思っていたか。

贄 などというきわめて珍しい姓ですから、子孫の方も見つけやすいとおもうんですが。

投稿: ちゅうすけ | 2010.12.31 07:34

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