医学館・多紀(たき)家(6)
「井上立泉(りゅうせん 60歳)先生からお預かりして参りました。『医心方』の写本の中のものだそうでございます」
包みを受けとり、松造(まつぞう 28歳)をいたわった。
「お通(つう 11歳)と善太(ぜんた 9歳)に食べさせてやれ」
両国橋西詰の店で買っておいた初霜せんべいをわたした。
「かたじけのうござります。喜びましょう」
包みには、写本のほかに、立泉らしい達筆の書簡が入っていた。
要点だけ写すと---
『医心方』といっても、ご希望のものは巻ニ十八の[房内篇]であろう。
すなわち、閨房(寝間での男女の営み)での秘技と悩みを説いた篇のことである。
平安王朝のころ、天子のために伝来していたが、200年ほど前(16世紀)に天皇家より医師・半井(なからい)家へ下賜され、「禁闕の秘本」とされてきた。
ところがどういうルートかはしらないが、一部が写本として流布している。
わが手元の[房内篇]は、奥医・橘 隆庵法印どのから借りて写させてもらったものである。
ただし、第一章から第十二章までと、医師としてこころえておくべき第二十五章からおしまいの第三十章までである。
うち、「第五章 臨御」「第六章 五常(玉茎)」「第七章 五徴(女性の快感の五つの兆し)」ほかをお貸しする。
くれぐれも扱いに配慮のうえ、なるべく早くご返却いただきたい。
[臨御]---房事におよぶ前---(前戯)とでもいう章の冊子を手にとり、平蔵(へいぞう 34歳)は、ぱらぱらとめくった。
私流に訳して記す。
「第五章 臨御(ことにのぞんでの前戯)」
初めて同士があいまみえるときは、とりあえず(全裸になって)座り、女性が左側に寝る。
男性はその右側に、枕を並べ、横たわる(こうすれば、男性の利き腕---右腕がなめらかに動く)。
女性はあおむけになり、股をひらき、腕を布団にのばす。
男性は女性がひらいた股のあいだに移り、かがむ。
堅くなっている玉棒で、芝生が茂っている隠唇の割れ目のあたりをこつこつと敲く(ノックする)。
割れ目の唇をちゃぴちゃと音を、立てて吸うのもいいし、灯をかざして看察すれば相手は興奮する。
乳房とおなかのあいだあたりを軽く撫ぜまわしたり、敲いたり、陰核の頭を指でやさしくなぞったり、掌を軽くまわしてみたりしてもその気を昂めよう。
ここまでじらすと、女性はもう、その気になりきっているし、男性も気がはやってきていよう。
しかし、まだ本番ではない。
玉門のあたりを金棒でかまわし、衝(つ)いたり、下の唇(金溝)をなぞったり、叩いて固めたり、入り口にちょっとあてて気をひいたりして、愛液の滲出ぐあいをたしかめつつ、しばし、休息。
平蔵は、おもわず周囲をみまわし、廊下の足音をうかがい、唾(つば)を飲みこみ、吐息をついた。
まずおもったのは、10年前の久栄(ひさえ 17歳=当時)との初夜の手順であった。
そこは、 〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 45歳前後=当時)という盗賊が囲っていたお静(しず 18歳=当時)と短い情事をもった向島の寮だったから、部屋や湯殿になじみがすこしあった銕三郎(てつさぶろう 24歳=当時)は、花嫁に対して、いささか手順をはぶいていたかもしれない、と反省した。
【参照】2008年6月2日~[お静という女](1) (2) (3) (4) (5)
とはいうものの、読んでいるときに連想していたのは、なんと、里貴(りき 30歳)との最初の---『医心方』の用語にしたがうと「交接」、あるいは「交合」---を想起していたのは、不謹慎というか、それほど印象が深かったのであろう。
【参照】2010118~[三河町の御宿(みしゃく)稲荷] (1) (a href="http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2010/01/post-6fa8.html">2)
われにもなく、躰が火照っていた。
もう、読みつづける気はしなかった。
秘本がどうして、〔三ッ目屋〕へ洩れたかも、いまは考えたくなかった。
寝間へ行き、寝衣に着替えた。
そのとき、襖があき、久栄が立っていた。
「おお。声をかけようとおもっていたところだ。休んで行け」
「お珍しい仰せですこと---」
舌先で上唇をなめた。
「そなたが嬉しいときのその癖、久しく出なかったな」
久栄は黙笑し、かかえていた枕をならべた。
(全裸であおむけになり、股をひらき、腕をのばせ)
平蔵が寝衣を脱ぐと、久栄もならった。
(橘 隆庵法印の個人譜 『寛政重修l諸家譜)
【ちゅうすけ注】『医心方巻二十八 房内篇』ついては槇 佐知子さん訳の筑摩書房版を参考にさせていただきました。
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コメント
[房内編]の写本とは考えましたね。
知っている人は知っており、秘している古書です。それを盗人探索に使うとは。
秘画を描いていた浮世絵師なども参考にしたかもしれません。
投稿: 左兵衛佐 | 2010.12.17 04:55
>左兵衛佐 さん
書名は聞いていましたが手にとったのは初めて。陰陽的なところをはずせば、いまでも通用---といっては、女性をセックスの対象としてのみ見ている古書を---と叱られそうですが、セックスも男女の関係を深める一つですから、あって当然なんですよね。小説の主要素の一つとしても。
投稿: ちゅうすけ | 2010.12.17 07:05