医師・多紀(たき)元簡(もとやす)(3)
「越前(守)さま。わざわざ申し上げるのも口はばったいことですが、火盗改メのお役目は、一に、火付けと盗難をあらかじめ察知して防ぐこと、一に、被害を確認すること、一に、火付けと泥棒および博打にかかわった者たちを追捕すること、一に、刑を課すること、と存じおります。写本が取り締まるべきものであれば、それは、お町(奉行所)のしごとであります」
平蔵の言葉のうらを明察した贄 (にえ) 越前守正寿(まさとし 40歳 300石)は大きくうなずき、
「人参の売りさばき先を、町奉行とともに手配することだな」
「御意(ぎょい)」
「脇屋、すぐに手配を---」
筆頭与力・脇屋清助(きよよし 51歳)がでていった。
「佐々木うじ。お願いしておいた、躋寿館(せいじゅかん のちに医学館)と多紀家の使用人のうちで、甲州弁かそのなまりをもった者は---?」
事件担当の佐々木伊右衛門(いえもん 41歳)は、老練な同心であったが、このときばかりは緊張したか、つまりぎみで、
「おりませぬ。甲州弁ではありませぬが、なにかの拍子に、上州なまりに近いのをもらすのが一人だけおりました。もっとも、ふだんはお座敷ことばでとおしていたようですが---」
「何者?」
贄 越前守が聞きとがめた。
「多紀家の奥女中で、お杉(すぎ)と申す、熊谷宿はずれの下石原村生まれで、府内の大きな店で行儀作法を仕こまれた、40を出たばかりのおんなです」
「じかに会ってたしかめたか?」
「はい。一皮むけたいいおんなでした。問いただしたときの所作に、疑わしいところはありませぬでした」
(たぶん、引き込みのお貞(てい)が化けたお杉であろうよ。14年前に本所の古都舞喜(ことぶき)楼から柳橋の〔梅川〕の仲居へ移ったお松(まつ 29歳=当時)---あの女狐め、またぞろ、江戸へあらわれよったか。それにしても、お松からお杉へ変名とは、思慮が浅いな)
【参照】2008年8月18日~[十如是(じゅうにょぜ)] (3) (4)
解放された多紀元簡(もとやす 25歳)と並んで神田川にそって歩きながら、
「先刻、お打ちあけいただいた『医心方 房内篇』の元本からの写本はどなたの手で---?」
平蔵の問いかけに、あきらめきっていたか、
「焼失した館を、安永2年(1783)の春に父・法眼(元悳 もとのり 49歳 )が再興したおりに、18歳であった手前が---」
「18歳といえば、あのように扇情的な内容のものを写筆なさると、陽棒が怒張しませんでしたか?」
「はい。相手のおんなの姿態をおもうと、とうぜん、玉茎(ぎょくけい)が直立・硬化します。それで、写本をもう一冊つくり、それを娼家の主(あるじ)にあたえて---」
「なるほど、わかります。ところで、元本の拝借は、やはり、橘家から---?」
元簡が凝立(ぎょりつ)して平蔵を見た。
「ちがいます」
「ほう、ちがいましたか。では、どちらから---?」
観念し、
「躋寿館(せいじゅかん のちに医学館)で同学であった平井寅五郎正好(またよし 22歳)の父御(ててご)・少庵正興(まさおき 43歳)どのからと聞いています」
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