辰蔵の射術(4)
12本の矢を放ちおえ、辰蔵(たつぞう 13歳)は師・布施十兵衛良知(よしのり 39歳 300俵)に向かい、揖(ゆう)の礼を行い、評を待った。
揖の礼とは、上躰を4寸(12cm)近く傾け、承る姿勢である。
「上達が見えた」
良知のはまさに寸評で、いつもこれしかいわないが、その日の声の抑揚で、褒めているのか励まされたのか、辰蔵はほとんど正確に感得していた。
少年の感受性はするどい。
きょうは、12矢のうち、的へ達したのは8本、真ん中を射抜いたのは1本でしかなかった。
不満がられても仕方がなかった。
「忝けのう、ございました」
師があごで、うながした。
井戸で汗を拭いてこいというのだ。
井戸は隣家と共同で使っていた。
牛込白銀(うしごめしろかね)町あたりに屋敷を与えられている300石前後で、下賜屋敷も300坪(1000平方m)という旗本でも中の下級の家は、ほとんど専用の井戸はもっていなかった。
もっとも、隣家との仕切りは高い塀で目隠しされていた。
400石で、南本所とはいえ1,238坪(4,000平方m余)の屋敷をもっている長谷川家は特別であった。
父・宣雄(のぶお 享年55歳)の倹約と思惑で手にいれた屋敷地であった。
井戸では、良知の長女の丹而(にじ 12歳)が、いつものように手桶に水を汲んで待っていた。
丹而は、毎朝の父・良知の鍛錬にもそうやって奉仕をしていたから、初弟子といえる辰蔵にもそうするものと決めていた。
当初、辰蔵は、丹而の前で上半身をさらすのにこだわったが、
「父上のお弟子なら、兄妹(きょうだい)同然でございましょう? 妹に裸をみせるのをこだわる兄がいましょうや」
12歳とはおもえないませた口調でたしなめた。
丹而には男兄弟はなく、下に妹が2人なので、自然にませた口をきくのが癖とは、あとでわかったが、辰蔵としては、3歳と5歳下の妹---初(はつ)と清(きよ)とは肌あいがまったく違うようにおもえ、丹而におんなを感じていた。
10歳から12歳のあいだにおんなの子からおんなの躰に変わる者がいることを辰蔵はころえていなかった。
このごろ、脇下と股のあいだに生えてはじめてきているのも気なっていた。
脇の毛に、丹而の視線がそそがれているようにおもえた。
さらに、単衣の季節になり、つるべから手桶へ水をかがみ気味で移すとき丹而の衿もとがひらき、ふくらみかけている乳房がのぞけたときなど、どきどきした。
学習塾の塾友だちがこっそり見せてくれる秘図のおんなたちの、乳房の豊かなふくらみにくらべると、丹而のはあるかなきかのふくらみであったが、それが情欲の発火点の一つであることは、悪童連の話でわかっていた。
「辰蔵さま。お話がありますの---」
まわりを見まわしてから、丹而が顔をよせてきた。
袖に腕をとおしながら、丹而の息が感じられるところまで、辰蔵も耳をよせた。
「ここでは、話せません。いつか、2人だけで会える機会をおつくりください」
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コメント
あら、辰蔵ちゃんのセックスを心配しなければならない年齢になったのですね。
13歳といえば小6か中1でしょうか。
でも、ちょっと早すぎ---ともいえませんね。
いまなら、早熟(ませ)た子なら、どこかでそういう雑誌やビデオを見て興味津々かも。
男の子にかぎりません。女の13歳だって、体はりっぱに女になりつつありますから。
辰蔵ちゃん、丹而ちゃんとどうにかなるのかしら? はらはら。
投稿: tomo | 2011.06.08 05:18
>tomo さん
母親らしいコメント、ありがとうございます。
ところで、13歳の辰蔵と12歳の丹而のイタ・セクスアリスですが、どう展開するかは、ぼくにも見当がつかないのです。
久栄は、成り行きまかせ---と、泰然としていますでしょうね。
はらはらしているのは、父親の平蔵のほうだと思います。
投稿: ちゅうすけ | 2011.06.08 05:57