辰蔵の射術(2)
「お茶をお持ちいたしました」
久栄(ひさえ 30歳)が小間使いをしたがえ、廊下から声をかけた。
「うむ---」
指先につまんでいた針を書見台へ置いた平蔵(へいぞう 37歳)が、
「辰(たつ 13歳)は、精がつづくのう」
「朝、昼、夕べ、半刻(1時間)ずつも励んでおります」
「弓がよほどに性(しょう)にあっていたとみえる」
「殿さまも稽古を見ておやりくださり、助言なと---」
「いや、それはならぬ」
「お冷たいこと。なぜでございますか?」
「辰の弓術は、布施(十兵衛良知 よしのり 39歳 300俵)どのに預けたのだ。横から余計なことは、差し出がましいし、辰のためにもならぬ」
「でも、父親として---」
「たとえ、父親であっても、弓術については、口だししてはならぬのだ。それより---」
目で、小間使いをさらせ、辰蔵の褌(ふんどし)を洗っておる下女が、変化を告げていないか、と訊いた。
「変化と申しますと---?」
「妙な汚れじゃ」
「汚れ---?」
「男の子は、夢精といってな、夢の中でつい、発射してしまうのじゃ」
「発射---?」
「ほれ。われがおことと睦んで頂上にたっしたおりに発射する、あれじゃ」
「男の兄弟なしで育ちましたゆえ---。むすめの月のものみたいなものでございますか?」
「真っ昼間から、妙な話題になったが、月のもののように決まったものではない。夢の中でおなごといたすとはかぎらぬのでな」
「夫婦(めおと)でございます、真っ昼間から寝屋ごとをしようと、その話をしようと、恥ずかしくはございませぬ」
「そう、力むな」
停めないと、寝間に布団を延べそうな力みようであった。
久栄の双眸(め)が潤んでいた。
(そういえば、ここしばらく接しておらぬな)
庭での弓弦(ゆづる)の音が止んでいた。
「ことさらに、下女に問うでないぞ。男の子の秘密ゆえな」
「はい」
「話のつづきは、今宵、寝間でな」
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