天明3年(1783)の暗雲(5)
馴れと反動は人の性(さが)なのかもしれない。
浅間山の噴火のあとはさすがに茶寮〔季四〕の客足もとぎれがちであったが、7日もたたないうちに、まず、噴火による農作物の被害をうけなかった西国の諸藩の留守居たちが会合をもちはじめた。
それでも、高級料亭はお上の目をはばかり、〔季四〕のように質素だが品格の高い店がえらばれた。
老中・田沼主殿頭意次(おきつぐ 65歳 4万7000石 相良侯)の息のかかった店らしいという風評も影響したらしく、四ッ(午前10時から)から暮れ六ッ半(午後7時)すぎまで、客の絶え間がなくなった。
板場も座敷も人手をましても、それでもおっつかない。
諸藩の重役たちは、里貴(りき 39歳)に藩と己れの顔と名を覚えてもらいたいから、里貴と奈々(なな 16歳)は休む間もなかった。
奈々は、諸藩の上級者と一流店の若手店主や番頭の顔と名をひかえるようにと、平蔵から特徴を記す小さな懐中手控え帳をわたされていた。
非番の日、平蔵は雑司ヶ谷の料理茶屋〔橘屋〕を訪ね、2代目忠兵衛(ちゅうべえ 50がらみ)と女中師範のお栄(えい 51歳)に、〔季四〕で働けそうなこころあたりのおんなを頼んだ。
忠兵衛は、里貴が紀州藩ゆかりの女将と分かると、
「紀州さまご指定をいただいておる〔橘屋〕としては、放ってはおけませんな」
嫁入りするといって辞めていったので、その後、夫婦仲がうくまくいってないのはいないかとお栄に訊いた。
お栄はそれには応えず、
「いつかもお話ししたことがあるとおもいますが、私は信州の佐久郡(さくこおり)沓掛村の出です。こちらの〔橘屋〕さんが女中たちの寮をお店の近くにお手当てしてくださっていたので、永くお勤めさせていただけました。〔季四〕さんも座敷女中たちの寮をお手当てなさると、遠くから通うこともいりません」
片目をつぶった。
(おんなたちのセックス・フレンドとのことは、〔橘屋〕流に大目にみてやれ)という合図だな)
平蔵はうなずき、
「お栄さんなみの座敷女中頭になれるような人のおこころあたりは?」
【参照】2008月8月10日〔菊川〕の仲居・お松] (9)
「お仲(なか)さんも、もう、48歳だからねえ」
つい、もらした。
「お仲が、どうか---?」
平蔵がゆっくりと問うた。
つられたお栄が、
「石浜真先の〔甲子屋(かねや)〕さんで女中頭をやっています。むすめ---といっても27の年増ですが、お絹(きぬ)ちゃんといっしょです」
【参照】2008年8月14日[〔橘屋〕のお仲] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
(真崎稲荷前〔甲子屋〕 『江戸買物独案内』)
忠兵衛が平蔵に釘をさすように、
「長谷川さま。〔甲子屋(かねや)〕さんからお仲さんを引き抜くのはおやめなさったほうがいいでしょう。これからお栄と相談し、うちの女中頭候補から、えらばせましょう」
(忠兵衛旦那のいうとおりだ。しっかり暮らしている母子に、若いツバメだったおれが、いまさら顔をだせた義理か)
【参照】2008年11月29日[〔橘屋〕忠兵衛]
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コメント
ははーん、お仲さん、甲子屋にいましたか。『剣客商売』の大治郎の住まいの近くで、たしか、池波さんの別の作品でもこの店、登場していますよね。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.07.26 06:49
>文くばりの丈太 さん
『鬼平犯科帳』と『剣客商売』はいろんな項目を記録、データベース化していいるので「甲子屋」で検索をしてみましたがヒットしませんでした。
真崎稲荷の周辺がでてるということではおもんかかわりで『梅安』かもしれませんね。
投稿: ちゅうすけ | 2011.07.26 13:07