お通の恋(2)
「知りあったが去年の秋おそくだと、かれこれ半年になる」
「さようでございます」
しゃも鍋屋〔五鉄〕の2階で話しあっているのは、平蔵(へいぞう 40歳)と松造(よしぞう 35歳)の主従であった。
「それで、お通(つう 18歳)は、処女(おとめ)のしるしを、渋塗り職の弘二(こうじ 22歳)に捧げてしまったのか」
松造の躰が、一瞬、震えた。
現代(いま)と違い、おとめの値打ちがもうちょっと貴重視にされていた。
もっとも、平蔵の室の久栄(ひさえ 16歳=当時)が挙式前に、
「躰にお徴(しるし)を---」
強く迫り、経験ずみのおんたちしかしらなかった銕三郎(てつさぶろう 23歳=当時)をうろたえさせたものであった。
【参照】2008年12月16日~[「久栄の躰にお徴(しるし)を---」] (1) (2) (3) (4)
松造がなにかいいかけた時に、亭主の三次郎(さんじろう 36歳)が平蔵には冷や酒、松造には熱燗をもってあがってきたので、お通の話題は打ち切られた。
別れぎわに、
〔お通は、奈々(なな 18歳)と同(おな)い齢だし、礼法もいっしょに習った仲だ。相談ごとがあったら訪ねさせるがよい。母親にもいえないことでも話すかもしれぬ」
「伝えておきます」
それから4,5日の登城の往還に松造は、ほかの供の耳を気づかったか、お通の名を口にしなかった。
そのあと平蔵は、4月11日と決まっている家斉(いえなり 13歳)の初鷹狩りの下見に刻(とき)をとられ、お通のことは放念せざるを得なかった。
家斉の初鷹狩りの狩り場にあてられたのは東深川というより、もっと東の亀戸村の羅漢寺辺であった。
長谷川家の屋敷から小1里(3km)弱であったから登城よりも近まということで、奈々の家へは寄れなかった。
「お通(つう)はん? 来たよ」
「なにかいってたか?」
「うん。蔵(くら)さんとの始まりを訊かれた」
「おいおい。行水のことを話したのではあるまいな」
奈々はぺろりと舌をだし、
「いうはずない。事故で結ばれたって、口が裂けてもいわれへん。ええおんなとして恥さらしやもん」
【参照】2011年8月30日[新しい命、消えた命] (2)
2階で並んで火事をながめていたとき、平蔵の掌がなにかの拍子に奈々の尻に触れ、そのまま布団に倒れこんのだというと、
「お尻、だしてたの?」
だから、この半纏(はんてん)みたいな閨衣(,ねやい)を見せると、着物を脱いで着てみ、
「あたいには、着てみせてあげる場所がないから無理や」
泣きべそかいてた。
「里貴(ゆき 逝年40歳)ゆずりといってやったか?」
「ゆうわけないやん」
「こいつ---」
「でも、蔵さんがあの時、これ着てたうちのお尻(いど)に触ったんはほんまやもん」
【参照】2011年7月14日[奈々という乙女] (6)
「覚えてない」
「うち、ちゃんと覚えとる」
(おんなは、つまらないことでも、自分に都合がいいことはいつまでも覚えておる生きものだ)
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コメント
お通ちゃんが恋こがれている渋塗りの職の弘二に体を許したかどうかをめぐり、平蔵さんの追憶にリンクがいくつか張られています。どれも機微にふれていておもわず笑いますが、小浪さんの初体験は深刻でした。それでも、新しいパートナーとしっかりやっているところがすばらしい。
ラストの平蔵さんの感想-(おんなは、つまらないことでも、自分に都合がいいことはいつまでも覚えておる生きものだ)当然です。そうでないと、苦しくて生きていられません。
投稿: tomo | 2011.11.14 05:59
>tomo さん
気がついてみたら7年もつづいていました。アクセス記録も当初からとっていますが、当初はアクセサーがそれほどではありませんでした。それで、この数年間にアクセスしてくだっている鬼平ファンにも池波さんが書いていない銕三郎時代の史実に近い成長記録を知っていただくために、過去の関連コンテンツにできるだけリンクを張るようにしています。
ほんとうは、すごく時間をくって大変なんです。自分でも忘れているコンテンツも多くて---。なにしろ2600近くもコンテンツがありますから、検索も容易じゃありません。
投稿: ちゅうすけ | 2011.11.14 08:15