江戸・打ちこわしの影響(4)
7年半近く、1日も休まずにつづけてきたので、ちょっと休ませていただく。
4,5日前の当ブログで、打ちこわしの暴徒を指揮した若衆髷(まげ)の若者と坊主頭のことを7年前に『夕刊フジ』の連載で紹介したが、出典を忘れたと陳謝した。
【参照】2006年4月26日[長谷川平蔵の裏読み]
出典がわかった。
太田南畝(蜀山人)『一話一言』であった。
たしか『燕石十種 第1巻』(中央公論社)に収録されているはず。
じつは、昨日、そのことを思い出し、3.11で足の踏み場もないほどすごいことになっている書庫にさがしに入った。
探しているときには、相手はおんなのように隠れるものであろうか。
8冊そろっていたはずなのに、第1巻の姿が消えていた。
『続燕石十種』(中央公論社)のほうは6冊そろって無事だったので、「長谷川平蔵殿」が書かれている四壁庵茂蔦『わすれのここり』を読み返すべく、病室へ移した。
【参照】2009年11月30日~[おまさが消えた] (1) (2)
若衆髷は、このところずっと紹介している竹内 誠さん『寛政改革の研究』(吉川弘文館)にも引用されている。
騒動の最中に、ある噂が市中にひろまった。打ちこわしの先頭に、いつも前髪姿の若者が一人おり、獅子奮迅の活躍をしているという噂である。しかも若者は「美少年」であり、「太刀」で飛鳥のごとく飛びまわったという。「其の勢ひ中々人力にてはあるまじく、天狗の所為なるべし」と評判もっぱらであった。
まるで牛若丸と弁慶といったところだ。
一般に一人ひとりでは無力に民衆が、強大な権力に真正面から立ち向かうとき、その反抗のエネルギーを具現する象徴的な人物が必要であった。しばしばその人物に、超能力を有する美しい若者があてられた。民衆の集団行動を奮起高揚させるには、こうした稚児崇拝思想はおおいに役立った。( 『寛政改革の研究』)
竹内先生もたまには、現実から飛翔し、史実の幻影に夢を托してみたくもなろう。
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コメント
以前、先生からコピーをいただきました、「森山孝盛日記」の五月廿二日の欄に「尤形も異形ニは無之候中ニ 十七八之前髪之若者有之、殊之外するとく大力にて能働候由巷説有之」 とありますね。
ご自愛ください。
投稿: 安池 | 2012.05.16 10:23
>安池さん
ありがとうございます。
いけませんね、ぼくは森山源五郎隆盛という幕臣が、我田引水ばかり書くので好きではないので、彼のことはすぐ忘れてしまうクセがあるのです。
彼の日記は、まだ活字化されていないのではないかな。
とすると、シートにしたのは孫引きですね。そのシートを残したファイルが崩壊した書斎の本棚のごちゃごちゃの下になっているみたいだし、当時、『犯科帳』の史料を入力したワープロ専用機は2台とも3.11で壊れたし。
しかし、彼が書きとめているということは、当時、瓦版か何かで流布されたのでしょうね。それで幕臣・太田南畝も書き留めたということですね。
投稿: ちゅうすけ | 2012.05.17 10:37