おまさ、[誘拐](6)
未完の長編[誘拐]でのおまさの救出という場面を実現するにあたり、もっとも関連がありそうな〔荒神(こうじん〕のお夏(なつ 26歳)という〔おんなおとこ〕のものの考え方に影響をおよぼしたとおもわれる人物たちの周囲をめぐっている。
お夏の父親は、〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう)という盗賊の首領であった。
助太郎は、[炎の色]事件の13年ほど前に病死している。
寛政6年(1794)の夏が、13回忌にあたっていたらしい。
助太郎という首領(かしら)はいっぷう変わっていた。
旅が好きで、北は蝦夷(えぞ)から南は九州まで、そのときどきに応じて旅をしがてら――ということは好奇心が旺盛で土地々々の風土、人情、習慣に触れては楽しむとともに、つとめをするのにふさわしい商家を選別(えら)んでいた。
「こんどは東海道の上り筋、駿府と掛川だ」
「宇都宮から日光----もっともおいしい道筋に盗人宿はもうけてある」
こう告げるときの助太郎の采配ぶりは、まことに颯爽ちるものであったという。
もっとも、候補に立てても実際に押しいったのはその中の、1割あるかなしで、やりとげるまでの手だて――要員の人選から引きこみの潜入、連絡(つなぎ)の手配と実行季節、退路の道順や収穫の分配などを空想するのを楽しんでいたともいえる。
-盗まれて難儀するものへは、手を出さぬこと。
-つとめをするとき、人を殺傷せぬこと。
-女を手ごめにせぬこと。
三ヶ条を守りながらの押しいりだとそんなに頻繁には実行できない。
選出した店舗は、昼間の店頭の情景から、どうやって探りだすのか、金蔵の場所から部屋々々の配置ぐあいまで懐帳面に描いていた。
そんな帳面を土地々々の盗人宿の奥の床の間の天井裏に秘蔵していた。
お夏の母親を、ちゅうすけはお賀茂(かも)と決めこんできたが、まったくの人違いをやっていたかもしれないし、あたっていたかもしれない。
池波さんが編集者に洩らした形跡はない。
【参照】2008年3月27日[〔荒神(こうじん)〕の助太郎] (10)
ただ、手がかりは、お夏は「隠し子」であったというひと言だけだ。([炎の色] p73 新装版p )
ただ、おんなおとこについては、聖典の文庫巻12[白蝮]に津山薫という先走雌馬がいる。
神保町にそれ専門の書店があると聴いたが、外出もままならなくなったいま、関連本を探しにでることもできなくなった。
銕三郎がこのブログでいっとう最初に出会った盗賊の首領が〔荒神〕の助太郎であったことは、偶然のようで案外的を射ていたかもしれないと、最近ではおもうようになった。
2人目は〔蓑火()〕の喜之助(きのすけ)であったか〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう )であったか、ちょっとはっきりしない。
(いや、検索すればわかるはずだが、コンピューターはその手の検索には弱い。
ま、いずれ分明しよう)
【参照】22008年7月25日[明和4年(1767)の銕三郎(てつさぶろう)] (9)
このとき銕三郎は喜之助から、煙草の益を説かれるが、結局、一生、煙管を手にしないですませた。
ちゅうすけは喜之助から人の育て方を学んだ。
納得してもらえまいが、ちゅうすけは、もう一つの毎日ブログの[創造と環境]で紹介している、20世紀の世界の広告革命の偉業を果たしたビッグ・ネイム――ビル・バーンバックさんを喜之助に投影した。
意外におもう人は、[創造と環境] http://d.hatena.ne.jp/chuukyuu/ にアクセスしてごらんください。
話がわき道へそれた。
本道へ戻ろう。
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