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2012.07.02

口合人捜(さが)し(2)

佐沼さぬま)の爺(と)っつあん。いろいろ事情もあろうが、こんどばかりはわれを助(す)けちゃくれまいか?」
それぞれが座についたところで、平蔵(へいぞう 50歳)が切りだした。

それまで平伏ぎみであった久七( きゅうしち 71歳)がさっと背中を立て、白濁がはじまっている双眼で平蔵を睨むように見返した。
その斬りこむような久七の視線を、笑(え)みをたたえた双眸(ひとみ)で受けながした平蔵は、ゆっくりと湯呑み茶碗をとりあげ、呑むでもなく呑まぬでもない姿勢(なり)で〔大滝おおたき)の五郎蔵(ごろうぞう 57歳) にうなずいた。 

「じつはな、爺(と)っつあん。こんどのことは、おれの女房のおまさの――」
「な、なんだって――。おまささんがどうかしたのか?」
おまさが拐(かどわか)された。誘拐されたのよ」
「か、拐されたって――どこのどいつにだ?」

「まだわかってない。それでもったいなくも、長谷川さまが、探索にのりだしてくださることになった」

久七平蔵を正視し
長谷川さまがそれを先におっしゃってくださっていたら……」
おもわず鼻をすすりあげたのへ、懐から家紋を染めた半栽(はんきれ)の手拭いを出してわたしてやった平蔵が、
「そうか。こだわりなく、助(す)けてくれるか。じつはな、この平蔵、江戸には知っている口会人は爺(と)っつあん独りきりというお寂しいかぎりなのだよ」
 
はっと平蔵を見あげた久七に、うなずいて、
「〔鷹田( たかんだ)〕の平十(へいじゅう)どんのことは、無念であった。われの気くばりがもう一歩先へいっていたら、ああはならなかったものを----」

ちゅうすけ注】痛快篇[殿さま栄五郎]は『鬼平犯科帳』文庫巻14に収録されている。
年代記を記すと寛政8年(1796)――史実の長谷川平蔵が病没した翌年の事件である。
鬼平ファンの多くが愛しているのは池波小説の江戸――そして鬼平という主人公であろう。
だから『鬼平犯科帳』にスポットされている鬼平史跡をめぐる。

ちゅうすけ とて、余人と変わらない。池波さんが『江戸名所図会』でふくらませた江戸に、ちゅうすけは稚拙なりに彩色という新手でいどんだりした。

参照】[わたし彩(いろ)の『江戸名所図会』]の左枠の最後尾の7篇がそれである。
殿さま栄五郎]は、『犯科帳』で最初に登場する〔鷹田〕の平十が鬱々として家を出、いつの間にか平十は松平伊豆守の下屋敷と上野山内に挟まれた道を、不忍池の方へ下りききっていた。

声をかけたのは〔馬蕗うまぶき)〕の利兵治(りへいじ)であることは、鬼平ファンならみんなしっている。
ちゅうすけの関心はそれではなく、松平伊豆守(三河・吉田藩主)の下屋敷にある。
20歳になろうという藩主の継嗣・音之助(おとのすけ のちの信礼 のぶうや)が側室・清見(きよみ)にここで産ませたのが春之丞(はるのじょう )で、のちに信明(のぶあきら)としてこのブログの平蔵にからんでくるところに、えにしを感ずるのである。

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不忍池 『江戸名所図会』) 塗り絵師:ちゅうすけ)

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