〔稲熊(いねくま)〕の音右衛門
『鬼平犯科帳』文庫巻9の[狐雨]に登場する本格派の首領。
浅草・駒形の眼鏡屋〔信濃屋〕文七が仮の家業。
駒形堂と駒形町(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)
継父のことで若いころの青木助五郎がぐれていたときに、稲熊兄弟が面倒を見てやったことがある。
年齢:50代後半(神田旅籠町で小間物屋を営んでいる60がらみの実兄〔信濃屋〕久兵衛から推測)。
生国:三河(みかわ)国額田郡(ぬかたこおり)岡崎在の稲熊(いなぐま)村(現・愛知県岡崎市稲熊町)
池波さんか編集部か、なぜか(いねさき)とルビをふっている。
探索の発端:鬼平の長男・辰蔵が、谷中・天王寺門前のいろは茶屋で遊興していた同心・青木助五郎を見かけた。火盗改メの手当てが別に出るとはいえ、30俵2人扶持の分際でいろは茶屋などで遊べるはずがない。辰蔵が〔近江屋〕で聞きだしたところによると、青木同心は旅籠町の小間物屋〔信濃屋)久兵衛と連れ立って上がったのが最初とのこと。
辰蔵はそのことを父の鬼平へ告げた。平蔵が若年寄・京極備中守高久に呼び出されて注意を受けたのも、町奉行所からとどいた青木同心の所業であった。
さっそくに〔信濃屋)久兵衛方が見張られたが、あやしいフシはない。
そのうち、狐が憑いた青木同心が、眼鏡屋〔信濃屋〕文七こそ、じつは過日、本郷4丁目の筆墨硯問屋〔静好堂〕辻勘兵衛方へ押しこみ1,300余両を奪った賊であるぞよ、と告げた。
結末:青木狐の告発で、〔稲熊〕兄弟一味は捕らえられたが、処刑については記されていない。
青木同心は、狐が落ちてからというもの、寝ついてしまったままだ。
つぶやき:二軒の〔信濃屋〕の屋号から長野県の出身と見たが、CD-ROM〔郵便番号簿〕での検索で岡崎市がひっかかった。
岡崎市役所観光課 鈴木さんからのリポート
当市に合併される前は、「稲熊村」だったか「乙見村」だったかとのご質問ですが、江戸時代の古地図には、「稲熊村」と明記されています。もっとも、明治22年には「乙見村大字稲熊」となりましたが。
「稲熊村」は大正6年に合併によって岡崎市稲熊町となりました。位置は市中央部のやや東寄りです。
合併前の産業は農業でした。
稲前(いねさき)神社 稲熊町へ入り、伊賀川をわたると前方に小高い森が見えます。神社の森です。岡崎市でもっとも古い神社です。
リポートへのレス
明治中期に出た『大日本地名辞書』で、「乙見」村の項に「稲熊」が包括されているわけが、よくわかりました。
ありがとうございます。
『鬼平犯科帳』文庫巻9「狐雨」に、江戸の浅草・駒形(こまかた)で眼鏡屋〔信濃屋〕文七という店を出していたのが〔稲熊〕の音右衛門です。
〔信濃屋〕という屋号なので、信州の出身とばかりおもっていたところ、『大日本地名辞書』に、三河国額田郡の〔稲熊〕と稲熊神社が載っていました。
稲熊神社は稲前神社の誤記なんですね。
さほど貧しくはない稲熊村育ちのため、本格派でとおしていたのでしょう。
長谷川平蔵とほぼ時代に佐渡奉行、勘定奉行、町奉行を歴任した根岸鎮衛の随筆集『耳袋』や、北九州の殿様・松浦静山の『甲子夜話』にしても、狐憑きをはじめとして妖怪変化の話が多く書きしるされている。
池波さんがその種の話を信じていたとは思わないが、江戸気分を出すために、ときどき、採りあげた。これはその一編。
宮部みゆきさんは、根岸鎮衛『耳袋』を愛読しているという。
平岩弓枝さんの『はやぶさ新八ご用帳』シリーズの新八の上司は根岸肥前守鎮衛である。
2005年12月5日(月)取材リポート
岡崎市役所観光課 鈴木さんのリポートに、「稲前(いなさき)神社 稲熊町へ入り、伊賀川をわたると前方に小高い森が見えます。神社の森です」とあった。
市の北---足助へいたる街道筋の「大樹寺前停留所」から、寒風の中を、片側3車線と巾の広い環状道路にそって東へ2キロ歩く。
環状道路はバイパスでもあるのか、すごい数のトラック群が飛ばす。
道は、岡崎の市名の「岡」の部分をつなげるような、ゆるやかな起伏にそって敷設されている。
長い石段の参道の右手に、「稲前神社」と石碑が建っている。
『街ごとまっぷ ニューエスト23 愛知県都市地図』(昭文社2004.1 3版2刷)では、「稲荷神社」と印刷されている。「前」を「荷」と早合点したらしい。
石碑には「稲前神社」と刻まれている
いや、大樹寺に近い鴨田交番が備ている番地入りの大区分地図も「稲荷神社」と誤植していた。こちらは番地まで誤植。正しくは、「稲熊字森下6」。
稲前(いなくま)神社の拝殿
市役所の鈴木さんの「稲前(いなさき)神社」も、交番備えつけの電話帳の「稲前(いなまえ)神社」も正しくはなかった。
拝殿下に置かれている由緒掲示板には、「稲前(いなくま)神社」とルビがふられていた。社務所も神職の住まいも閉まっていて無人だったから、問い合わすことができなかったが。
ここは、名鉄バスの路線から外れているから、市役所も交番も確認していなかったのかも。
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コメント
ほんと、[狐雨]を読み返してみましたが、〔稲熊〕兄弟のことは、さらっとしか書かれていませんねえ。
青木同心がこの篇の中心人物なんですね。
それなのに、きちんと〔稲熊〕なんて出生地を連想させる「通り名」をつけてあげている律儀さは、ほんと、池波センセらしいです。
また、それを手がかりに、岡崎市役所までリサーチの手をおのばしになった西尾センセも律儀。
女性にも律儀だといいのだけど。
投稿: 裏店のおこん | 2004.12.30 09:45
町の名前、寺の山号、神社の社号、店の屋号、盗人の「通り名」をきちんと書くのは、池波さんの律儀さもあるでしょうが、小説にリアリティを与える気持ちも強かったのではないでしょうか。
ぼくの場合は、10代の終わりから20代へかけて、同人誌『えんぴつ』に属しており、開高 健、向井 敏、谷沢永一先生などと小説の批評会をやっていて、開高から「神は細部に宿りたまっとるんや」とやられていたせいもあります。
細部にこだわるのが習慣になってしまって。
いや、病気の一種かも、ね。
投稿: ちゅうすけ | 2004.12.30 10:30
コメントありがとうございました。
コメントいただいたことがなかったのでレスを見落としてしまいました。
鬼平 私も大好きです。市ヶ谷辺りや番町に行ったときに鬼平を思っています。
投稿: まる | 2004.12.30 14:48
わざわざのレス、ありがとうございました。
これをご縁に、これからも、お互い、カミシモぬいで、贔屓の鬼平の話をつづけましよう。
投稿: ちゅうすけ | 2004.12.30 15:59
稲熊の音右衛門を盗人の三か条を守る本格派のお頭にしたのは青木助五郎に対する池波さんの心情ではないでしょうか。
池波さんもご両親の離婚で父親のいない寂しさがあったのではと推測します。
青木助五郎が家出をしている時に稲熊兄弟に親切にされ道を違えなっかたという事と、三度の押し込みも火盗改が手がかりをつかめなかったというあたりに本格派を感じさせます。
悪い事をしながら善い事をする、善い事をしながら悪い事をするという池波哲学の一編ですね。
助五郎の病死が暗示されているのもホッとします。
投稿: 靖酔 | 2004.12.30 16:32
>靖酔さん
「1日1盗人」的読み方の効果覿面ですね。
こういうふうに、想像力を深く深くおよぼしていくと、『鬼平犯科帳』は、創造性のお手本にも、作家と作品論の下書きにもなりますね。
いや、炯眼に賛辞を。
投稿: ちゅうすけ | 2004.12.31 11:26