〔前砂(まいすな)〕の捨蔵
『鬼平犯科帳』文庫巻1に所載の[老盗の夢]で、女のことで戻り盗めをしなければならなくなった老盗〔蓑火〕の喜之助。江戸で人集めのために訪ねた元鳥越の松寿院門前で花屋の老亭主をしていたのが〔前砂〕の捨蔵だった。
じつは、ここは、巨盗〔夜兎〕の角右衛門の「盗人宿」で、捨蔵はその番人でもある。
(参照: 〔蓑火(みのひ)〕の喜之助 の項)
(参照: 〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門 の項)
年齢・容姿:60代後半か。痩せこけて、焼きざましの干物(ひもの)のよう。
生国:武蔵国中仙道ぞい前砂村(現・埼玉県北足立郡吹上町前砂)
探索の発端:巨盗〔夜兎〕の角右衛門は、『鬼平犯科帳』シリーズに2年半ほど先立つ単独短篇[白浪看板](新潮文庫『谷中・首ふり坂』に収録時[看板]と改題)で、〔夜兎〕は頼まれて臨時にお盗めに加えた者の不始末を恥じて一味を解散、自首して出て鬼平の下で密偵となった。
それまで、〔夜兎〕一味は火盗改メに追われたことはなく、したがって〔前砂〕の捨蔵も目をつけられたことはない。
結末:〔夜兎〕一味の解散のとき、角右衛門にいいつかり、かつて先代ゆずりの掟の3ヶ条をやぶった臨時の手下〔名草(なぐさ)〕の綱六を始末するために備前の下津井へ向かった。
そのあと、門前花屋の亭主として一生を終え、畳の上で往生をとげたものとおもわれる。
つぶやき:元鳥越にあるのは、「松寿院」ではなく、「寿松院」。現存の寺院名を避けたとの考え方もあろうが、じつは、池波さん愛用の近江屋板の切絵図の誤植---が真相。池波さんが切絵図の誤植をそのまま書き写しただけのこと。
台東区鳥越2丁目にある不老山寿松院
吹上町前砂まで現地へ足をはこんだ朝日CC〔鬼平〕クラスのリポーター・上尾宿のくまごろうさんによると、「吹上町」の町名は、荒川(現・元荒川)がその名のとおりによく荒れ狂い、洪水時につくり出す両岸の自然堤防に、晩秋から春先、北西の風が砂ぼこりを吹き上げるところから吹上(ふきあげ)との名が生まれた、と。
で、くまごろうさんは、地元では「前砂(まえすな)」と呼んでいるが、「舞砂(まいすな)」がなまったのかも、と。
幕府道中奉行作製『中仙道分間延絵図』(寛政年間)にみる前砂村と村社・氷川神社
池波さんは、「前砂」という「呼び名」がかなりお気に入りのようで、前掲[〔手越(てごし)〕の平八](新潮文庫『あばれ狼』収録の[さいころ蟲]の主人公。参照:当サイト[〔手越(てごし)〕の平八])にも、〔前砂〕の甚五郎な老人を登場させているし、これも単独短篇[正月四日の客(角川文庫『にっぽん怪盗伝に収録)には〔前砂〕の甚七という引き込み役の盗人を描いている。
池波さんが、なぜ、「前砂」にこだわるのか、調べは今後の課題---といっておく。
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コメント
盗賊のネーミングの妙
誰しもが池波さんの盗賊のネーミングには感心してますが、故江国滋もその一人で、「鬼平100回記念対談ー長谷川平蔵の秘密(オール読物昭和51年10月号)」で
江国:あと、本当に舌を巻くのは、盗賊どものキャラクター、それに加えてネーミングのおもしろさですけれども、とくにネーミングの秘密を聞きたくて、全部あれは作ったものですか、血頭の丹兵衛・・・
池波:ええ そうですね
江国:赤観音の久兵衛星・・・いかにもそれらしい。それでいて、どうして赤観音なのか、そのへんの説明は省略されていることが多いですよね。
とあります。
さすが池波さんも企業秘密だったのでしょう、ネーミングの方法については語っていません。
西尾先生が池波さんの書斎の書棚の写真から吉田東吾「大日本地名辞典」を見つけ次々と盗賊の出身地、由来を解き明かしていただけるので鬼平を2倍、3倍楽しむことが出来ます。
江国滋にも教えてあげたい。
投稿: 靖酔 | 2005.01.14 15:03
江国滋さんねえ。
10年以上も前、胃がんの手術後半年という江国さんと、スイス政府観光局の招待で、ドイツ語圏の北スイスを旅したことがあります。
江国さんは、俳句の鷹羽狩行宗匠とごいっしょの、句吟行でした。こっちは、ワインの試飲。
そのとき、鷹羽宗匠に駄句を添削していただきました。
なにせ、当時は鬼平はやっていませんでしたから、鬼平の話はしていません。いまから考えると---。
帰国後、数年して、江国さんが歿くなられたのを新聞で知りました。
投稿: ちゅうすけ | 2005.01.14 15:58