〔堀切(ほりきり)〕の次郎助
『鬼平犯科帳』文庫巻7に所載[隠居金七百両]で、4年前に病いのためにお盗めがつづけられなくなり、大盗賊のお頭〔白峰(しらみね)〕の太四郎(72歳)に、雑司ケ谷の鬼子母神・参道の茶店〔笹や〕を買ってもらい、その見返りにお頭の隠居金700両を秘匿することを頼まれた。
(参照: 〔白峰〕の太四郎の項 )
年齢・容姿:事件時は58歳。足を洗った4年前は54。6尺(1メートル80センチほど)近い大男で無愛想。
生国:捨て子として発見されたのは下総国(武蔵国とも)葛飾郡(かつしかごおり)掘切村(現・東京都葛飾区堀切)? 正確なところは不明。
探索の発端:長谷川平蔵の嫡男・辰蔵が、鬼子母神・参道の茶店〔笹や〕のむすめ・お順を見初(みそ)めた。遊び仲間の阿部弥太郎にいわせると「芋の煮ころがしのような小むすめ」のお順をである。
そのお順がかどわかされるところを偶然に行きあわせた辰蔵と弥太郎が、〔掘切〕の次郎助が隠した700両をねらっている〔奈良山〕の与市の存在を知り、盗人たちの全貌が明らかになった。
(参照: 〔奈良山(ならやま)の与市の項)
結末:捕らえられた与市と弟分の孫吉は、死罪であったろう。
〔掘切〕の次郎助は事件が解決した夜、腸捻転のような病気で死んだ。
火盗改メからの連絡で、京都・下寺町に潜んでいた〔白峰〕の太四郎とその妾・おせいを、京都町奉行所は取り逃がした。
つぶやき:ひとりになったお順を、育ての母親、勢州(三重県)の関の宿場の饂飩屋〔かめや〕へ送りどけるよう、鬼平からいわれた辰蔵は、どうやら、途中でお順に手をつけなかったのは、すでに熱が冷めていたのであろうか。それとも、勇気がなかったか。
〔白峰〕の太四郎の隠居金が〔掘切〕の次郎助のもとへ運ばれたことを〔奈良山〕の与市へ告げたのは、〔白峰〕の妾のおせいであった。与市が実の弟であることを隠したおせいが太四郎へ推薦、余市が一味を脱けたあとも情報を流していたというから、躰の関係ができたといっても信用はできない。
もっとも、おせいは茶汲女あがり---ああいう躰を張った仕事についていた女は、一筋縄ではいかないのかも。いや、72歳の〔白峰〕の太四郎が寝床でおせいを満足させていたかどうか。
雑司ケ谷の鬼子母神の「鬼」の字には、「田」の字の上の「ノ」を取り去り、「角がない」といい、一ノ鳥居の偏額の文字も案内板もそうなっているが、いつからそうしたかは、つまびらかでない。
というのは、鬼子母神を抱えている法明寺のご住職によると、都電の駅名も「角なしの鬼」に変えると、全駅の案内板などの変更には3億円の費用がかかる、と聞いたから、そう昔のことではなさそう。
ご住職に冗談で、「ここの本堂の下には七百両が埋まっているそうで---」といったら、「そのお金のことが早くから分かっていたら、本堂の修復費が助かったのに---」と笑いながら返された。
雑司ケ谷・鬼子母神 法明寺(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
雑司ケ谷や入谷の鬼子母神が有名だが、日蓮宗のお寺なら、たいてい、合祀している。最初に発案したのが日蓮上人なのか、高弟の一人なのかはしらないが、授児、安産、育児にご利益があるということで、女性の参詣者を集めるマーケティング・アイデアとしては抜群である。
『江戸名所図会』の[雑司ケ谷の鬼子母神]の絵をもみても、参詣者の8割、女性が描かれている。こんなに女性が多いシーンは、『名所図会』では、ほかに「堺町葺屋町戯場」と「木挽町芝居」があるだけである。
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コメント
「72歳の〔白峰〕の太四郎が寝床でおせいを満足させていたかどうか」
キツイお言葉ですねえ。
ほんと、大盗の〔白峰〕のお頭も年齢には勝てない---というより、おせいさんの金欲のほうがつよかったのでしょうよ。
あたしなら、粂八さんが幾つなろうともついていきますからね。
投稿: 裏店のおこん | 2005.02.18 08:42
この「隠居金七百両」ほど焦点がはっきりしないのも珍しいですね。
白峰の太四郎も江戸で一度もお盗みをしてないし、堀切の次郎助も茶店の親父でおとなしくおさまってるし、辰蔵がいくら熱を上げてもお順は全く興味なかったようだし、おせいの濡れ場もなしだし、こういう一編もあるんですね。
気になるのは見つけた七百両。
お順を関のうどん屋へ送り届けた費用もたいした金額はかかって無いでしょうから、予算の少ない火盗改の台所を潤おしたのか、幕府に上納されたのでしょか。
投稿: 靖酔 | 2005.02.18 10:44
>靖酔さん
そう、〔白峰〕の太四郎は江戸では一度もお盗めをしていませんね。
しかし、〔堀切〕の次郎助の引退後の場として雑司ケ谷の鬼子母神・参道を選んだのは、やはり、次郎助が拾われたのが、江戸か江戸の近郊だつたからだろう、と読み、〔堀切〕を下総の葛飾郡とみました。
おせいは京都の南禅寺門前で茶汲女をしていたというから、京都かその近郊の生まれでしよう。弟の「通り名(呼び名)」が〔奈良山〕なので、池波さんがお好きな歌姫街道ぞいの村かも。
>裏店のおこんさん
江戸期の72歳といえば、いまの82歳に相当するのでは---?
それで、寝室での不満を想定したのですが、いや、若いころに読んだ谷崎潤一郎の『鍵』とか『瘋癲老人日記』なんかを連想しましてね。
おこんさんが、〔小房〕の粂八さん一筋なのは、もちろん承知していますがね。
投稿: ちゅうすけ | 2005.02.18 11:24
72歳といえば、[はさみ撃ち]の本郷1丁目の薬種屋〔万屋〕の老主人の小兵衛もそうでした。
女房は41も齢下のおもん。
で、夫婦の秘事も絶えている---とあり、そこを女たらし専門の〔針ケ谷〕の友蔵につけこまれましたね。
[はさみ撃ち]の前が[隠居金七百両]その前が[雨乞い庄右衛門]で、これも老齢・病身で妾が浮気して殺される話。
そのころ、池波センセの身辺に、そんな話がつづいて入ってきたのですかねえ。そうでも考えないと、ね。
投稿: 裏店のおこん | 2005.02.18 15:22
本編とは関係のない話になるかもしれませんが、
この[隠居金七百両]といい、[むかしの男]といい、娘のかどわかしというのは、鬼子母神の話に掛けているのでしょうか。
投稿: 豊島のお幾 | 2005.02.19 02:17
>豊島のお幾さん
鬼子母神と子どもの誘拐---釈迦に説諭されて改めるまでは、たしかに、鬼子母神は誘拐犯でしたね。
これまで、だれも気づいていなかった視点です。地動説にひとしいほどの大発見ですね。脱帽!
そうそう、遅くなりましたが、右サイドバー「お気に入り」に、いくっちさん(お幾さん)のブログ、あげさせていただきました。
投稿: ちゅうすけ | 2005.02.19 03:48
6~7年前にホームページを作るのが楽しくてしょうがなかった頃、京極夏彦氏の今夏映画化になる『姑獲鳥の夏』の舞台の鬼子母神を自己満足の取材のつもりで行ったので良く憶えています。
「近隣の幼児を攫っては食べるのにお釈迦様に自分の子を隠され嘆き悲しみ、攫うことをやめ、今までの過ちを悟り、仏に帰依した」まではいいのに、そんな極悪な帝母(鬼子母神)を許してしまう仏教ってどうなのよとそのとき思ったものでした。
Blogへのリンクありがとうございます。
一番上・・・ちょっと恥ずかしいです(笑)
投稿: 豊島のお幾 | 2005.02.19 13:54
なるほどぉ〜!!突然お邪魔します。
このお話と鬼子母神のお話!
う〜ん、ホントにそうかもしれないですね。
この現代まで続いている鬼子母神のマーケティング・アイデアは本当になんと素晴らしいのでしょう。
それに乗せていただきました一人としましては、アイデアということだけではなく信心し感謝しておりますが。
投稿: c | 2005.02.20 23:11
ははあ、鬼子母神は角のない母神だったのですか。
いやあ、チエですね。
ネーミングからして、マーケティングができている。
そもそもマーケティングと言う概念は
ドラッカーが言い出したことなのですね。
商品の販売をムダなく、効率的に行うためには、
大衆が何を欲していることか知ること。
それによってムダのない生産計画を立てられ、
ムダのない販売計画を立てられる…と言うわけです。
しかし、すでに宗教においてはずっと前から
行われていた。稲荷然り、善光寺然り、です。
善光寺などは、信州別所温泉に「北向観音」
などと言う別院を建て温泉との
共存を図っていたと言われます。
モルモン教の布教ノウハウが、
現代のビジネス手帳に
振る活用されているのも、
マーケティングのひとつと
いえましょうか。
そういえば観光地に「水子地蔵」を
作るなんてことを
検討したこともありました。
それにしても宗教におけるマーケティングは、
人の心を知り尽くしている。
現代のマーケタ―もおそらく脱帽ですね。
投稿: ヌマ | 2005.02.21 11:11
>ヌマさん
いよいよ、マーケのオーソリティのお出ましですね。
これからが、たのしみ。
ところで、鬼平史跡ウォークで雑司ケ谷の鬼子母神に参詣したとき、ここを管轄している法明寺のご住職が本堂から秘仏まで案内してくださり、さらに、控え室で鬼子母神モナカ(公孫樹の葉と、もう片側の図案がなんだったか忘れました。デジカメにはおさめています)とお手ずからお茶を供してくださり、夜、人に見られないで樹齢600年の公孫樹の幹をだくと、子がさずかる---といい伝えられているなんて話をしてくださいました。
いや、すごいマーケティング・スピリッツだな、と感心しました。
投稿: ちゅうすけ | 2005.02.22 06:59