« 〔五井(ごい)の亀吉 | トップページ | 〔浜崎(はまざき)〕の友蔵 »

2005.02.23

〔泥亀(すっぽん)〕の七蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻9にはいっている[泥亀]の主人公。足を洗って、三田寺町の魚籃観音堂・境内の茶店〔泥亀茶や〕の亭主。

209

085
境内に〔泥亀茶や〕のある魚籃観音堂(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
(参照:魚籃観音(楽天))

年齢・容姿:52歳。あだ名のとおり、ずんぐり肥えた胴体に、愛らしいほどの短い手足がついている。
生国:上野(こうづけ)国那波郡(なわごおり)南玉村?(現・群馬県佐波(さわ)郡玉村町南玉(なんぎょく)?)
上記には自信なし。地元の鬼平ファンのご教示をまつ。

探索の発端:{泥亀〕の七蔵は、偶然に出会った〔関沢(せきざわ)〕の乙吉から、かつてのお頭〔牛尾〕の太兵衛が亡くなり、藤枝にいた遺族が苦境におちていることを知らされた。
(参照: 〔関沢〕の乙吉の項)
(参照: 〔牛尾〕の太兵衛の項)
いっぽう、密偵・伊三次は、芝の宇田川町で〔関沢(せきざわ)〕の乙吉とばつたり出会った。7、8年前、伊三次が房州の盗賊〔笹子(ささご)〕の新右衛門のところへいたときに、乙吉が助(す)けばたきにきて、知り合ったのだった。
伊三次は、乙吉を船宿 〔鶴や〕へ誘って〔泥亀〕の七蔵が〔中尾〕の太兵衛の遺族のためにお盗めをくわだてていることを聞きだした。
(参照:伊三次の項)

結末:〔関沢(せきざわ)〕の乙吉は、〔鶴や〕で御用。乙吉が持っていた分配金50両が伊三次の手で七蔵へ渡された。
七蔵は、痛む痔の尻をだましだまし、三河の御油へ。50両を太兵衛の遺族へ届けるためである。

つぶやき:〔泥亀〕の七蔵の純真、愚直、真剣ぶりがなんともユーモラスに描かれていて、おもわず笑ってしまう。
さきに、小中学生に読ませたい篇を挙げた。この篇もとうぜん含まれてしかるべきとはおもうが、なんせ、痔持ちの話なので、小中学生にはいささか、ね。

かつて痔疾は字(痔)のごとく、「寺へ入るまで癒らない病い」(やまいだれの中へ寺の字がはいっている)といわれていたものだが。

火盗改メの白州で、放免をいいわたした鬼平が、いたずらごころを発揮、
「伊皿子の中村景伯先生へ、よろしくな」
と付けたして、七蔵を、
「げえっ---」
と驚かせた、池波さんの手練の技!

|

« 〔五井(ごい)の亀吉 | トップページ | 〔浜崎(はまざき)〕の友蔵 »

113神奈川県」カテゴリの記事

コメント

泥亀の七蔵(名古屋章)が中村景伯先生から「患部を切れば早く治る」と言われてびっくりして居る様子がビデオで見られます。
NHKの華岡青洲の妻を併せて考えたいと思います。 麻酔術の発達した現在でしたら「先生痛くないようにお願いいたします」と言えるが当時は恐らく麻酔薬は未だ発明されていなかったでしょうから、本当にそのような手術ができたか疑問ですが医者が冗談に言ったのかどうか知りたいところです。 それにしても亡くなった名古屋さんの演技は小説そのものでした。

投稿: edoaruki | 2005.02.23 11:17

>edoarukiさん

[泥亀]のビデオ(DVD?)は、第6シリーズでしたっけ?

ビデオ第?シリーズまであったんでしたっけ?
わが家は、第5シリーズで軍資金がショートしてしまって---。

投稿: ちゅうすけ | 2005.02.23 16:55

横浜市金沢区泥亀に友人が住んでいるので訪ねたことがあります。
聞くと所によるとこのあたりは、平潟だった所を郷士
の泥亀仁左衛門さんが開墾して田畑を作り、泥亀新田といわれていたそううです。
今は新しい住宅地ですけど、泥亀(でいき)1丁目、2丁目とマンション群が建ち並んでいます。

生国は平蔵の取調べに「生れは上州玉村で、貧乏百姓
の三男坊」と泥亀の七蔵が云ってますが。

投稿: みやこのお豊 | 2005.02.23 23:24

>みやこのお豊さん

ご教示ありがとうございました。

「泥亀」は「すっぽん」の異称であって、地名ではないはずなのに、CD-ROM版『郵便番号簿』で「泥亀」をさがして、泥亀仁左衛門さんにご迷惑をおかけしてしまいました。陳謝。

聖典の、「生れは上州玉村で、貧乏百姓の三男坊」を見落としたのは、読み手としてまったくの手落ちとしかいいようがありません。

上州「玉村」をCD-ROM版で検索したら、群馬県佐波郡玉村町がひっかかりました。
佐波郡は、江戸期の佐位郡(さいごおり)と那波郡(なわごおり)が合併したものにちがいないと、両郡の村々を調べて、南玉村に行きあたりました。

で、とりあえず、現・佐波郡玉村町南玉(なんぎょく)と訂正しましたが、再調査を要します。

ついでに、付記すると、文庫巻21[男の隠れ家]に〔玉村〕の弥吉が登場しています。この弥吉も上州玉村の出とすると、池波さんの、この村へのこだわりの理由を調べないといけませんね。

投稿: ちゅうすけ | 2005.02.24 04:55

『玉村町史』には、佐位郡と那波郡の合併のことはでていないようです。

南玉は(なんぎょく)と読みます。
北玉村にあたるのが「御厨」ですが、現在の「郵便番号簿」には記載されていません。

学芸員が帰ってきましたら、また、ご連絡します。

投稿: 玉村町郷土資料課 | 2005.02.24 11:45

憎めない盗人がまた一人登場ですね。
何とも義理堅く貯えも無いのに世話になったお頭牛尾の太兵衛のおかみさんが苦労してると聞いて盗めをして恩を返そうというけなげさに同情。

関沢の乙吉が「それじゃあ。七蔵どんいただきだちですまねぇーが」という台詞がありますがこの[戴き立ち]という言葉いいですね。
よく飲みに行ってた頃「食い逃げ」とか「飲み逃げ」なんて言ってましたが[戴き立ち]は上品できれいですね。
「私も今度は戴き立ちですまねぇ」と。

投稿: 靖酔 | 2005.02.25 09:08

玉村町郷土資料館の学芸員の萩原さんから、おもしろい話を聞きました。

その1.玉村町が属する佐波郡は、予想どおり、江戸期の佐位郡(さいごおり)と那波郡(なわごおり)が明治29年(1896)に合併したものである、と。
その2.那波郡の那波は、上杉の重臣であった那波氏に由来している、と。
その3.玉村の村名は、その昔、添うことがかなわなかった男女が村を流れる矢川へ身をなげ、竜と玉となったことによると。
玉は秘仏として、満福寺に秘蔵されているが、目にしたものはいない、と。

投稿: ちゅうすけ | 2005.02.25 14:06

池波さんの未刊エッセイ集『わたくしの旅』(講談社 2003.03.15)に、[ジ用体操一、二ッ、三]が収録されています。
切らずに痔を治した体験記で、同病で悩んでいる人らにもすすめて、快癒---喜ばれた話です。

つまり、〔泥亀〕の七蔵の痛みと塗炭の苦しみは、池波さんの体験でもあったということです。

投稿: ちゅうすけ | 2005.02.26 10:57

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/70984/3043922

この記事へのトラックバック一覧です: 〔泥亀(すっぽん)〕の七蔵:

« 〔五井(ごい)の亀吉 | トップページ | 〔浜崎(はまざき)〕の友蔵 »