〔伊勢野(いせの)〕の甚右衛門
『鬼平犯科帳』文庫巻6に所載[猫じゃらしの女]で、本拠の武州・熊谷から、江戸でのお盗めをたくらんで、浅草・新堀端の荒物屋を買い、とりあえず本郷5丁目の薬種問屋〔堺屋〕に目をつけていた。
年齢・容姿:老爺とあるから、そうとうに高齢なのかも。容貌は書かれていない。
生国:埼玉県八潮市に「通り名」の伊勢野という町名がある。
探索の発端:[伊勢野〕一味が、40両の約束で〔型師〕の卯之吉から入手しようとしていた〔堺屋〕の金蔵の錠前の蝋型を、卯之吉が寸前に70両に値上げしたため、怒った〔伊勢野〕の甚右衛門が卯之吉を幽閉してしまった。
(参照:〔伊勢野〕の甚右衛門に型師・卯之吉を紹介した、 〔中釘(なかくぎ)〕の三九郎 の項)
危険を察知した卯之吉は、蝋型を提灯店の娼婦およねに預けていた。
それを伊三次が見つけて、蝋型を受け取りに来た〔伊勢野〕一味の者を尾行し、盗人宿を突き止める。
結末:残りの一味は熊谷まで出張った長谷川組に、本拠で追捕された。これまで上州・信州で犯した盗みの数々により、獄門のはず。
つぶやき:卯之吉の二枚舌は、〔伊勢野〕一味から仕置きをうけてとうぜんなのに、つい、読み落としていたのが、〔伊勢野〕の甚右衛門の「殺傷ぎらい」の一行。
殺傷ぎらいの甚右衛門が卯之吉に死にいたるほどの仕置きをしたのだから、盗人仲間での二枚舌はそれほどに忌みきらわれていたということだ。
いや、なに、ふつうの世間でも、二枚舌は信用の死滅にあたいする。、
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コメント
不思議で仕方がないのは、〔伊勢野〕の甚右衛門は、なぜ、鬼平のいる江戸へ、上州からわざわざ出向いてきたかです。
上州や常陸なら、熊谷、高崎、館林など、絹で儲けている地元素封家がたくさんあるはずだから、絹市が立ったすぐあとにお盗めをすればやっていけるはず。
バブル期に、多角化といって本業以外に手をだして手ひどく失敗した経営者が少なくありませんでしたが、〔伊勢野〕の甚右衛門はそれに似ていませんか。
投稿: 文くばり丈太 | 2005.02.09 15:36
卯之吉がほんのちょっと慾をかいたために命を落とし、伊勢野甚右衛門はちょっと冷静さを欠いて身を滅ぼしてしまいました。
それに反しておよねの純な心根が我が身を助け、お金に縛られることなく自由に好きな商売が出来たのですからある意味では幸せ。
後には「長谷川様によろしく」なんていうセリフも飛び出しますからね。
投稿: 靖酔 | 2005.02.09 16:46
>文くばり丈太さん
あいかわらず、鋭いですね。
時代を調べてみると、寛政3年(1791)の事件ですから、浅間山の噴火で桑畑が全滅し、天明の飢饉の余波で、江戸をはじめ大都市に無宿人があふれかえり、長谷川平蔵が建白いした人足寄場が開かれた翌年なんですね。
絹市が円滑に開かれていたかどうか。
そこで、〔伊勢野〕の甚右衛門とすれば、江戸で起死回生をねらったのかも。
投稿: ちゅうすけ | 2005.02.09 16:50
>靖酔さん
およねは、伊三次に惚れているだけでも賢い女性ですよ。伊三次って、江戸風のいなせな男ですからね。
とはいえ、伊三次は、東海道の関の女郎衆に育てられた男。その生い立ちであるだけ、ああいうところの女性にもやさしいのでしょう。
投稿: ちゅうすけ | 2005.02.09 19:06