〔池尻(いけじり)〕の辰五郎
『鬼平犯科帳』の文庫巻22、長編[迷路]の冒頭で、鉄砲洲で待ちうけていた火盗改メの網にかかり、自害して果てた頭目。上方から北陸路を縄張りにしていた。
年齢・容姿:54,5歳。目鼻立ちのすっきりした顔貌、細身の引きしまった躰。
生国:美濃国大垣在の池尻村(現・岐阜県大垣市池尻町)
池尻という名の町は、CD-ROM版「郵便番号簿」で検索すると、全国に28町村ある。池があればその端っこがあるわけで、現実には池(埋められた池も含めて)の数ほどあるはず。しかし、辰五郎のばあいは、「岐阜県大垣市の池尻の生まれ」とわざわざ書かれている。
探索の発端: 〔池尻〕の辰五郎一味が江戸での2度目の狙いどころとして、鉄砲洲の薬種屋〔笹田屋〕に目をつけたのは、越中(冨山県)産の〔熊の胆〕だけを商って巨利を得ていると見たからだが、そのことを内偵したのは女密偵おまさだが、経緯は書かれていない。
結末:逮捕された〔池尻〕一味12人のうち、頭目の辰五郎は、かぶせられた投網(とあみ)の中で自害して果てた。逮捕された者たちは死罪・打ち首。
つぶやき:大垣在住の畏友・川中さんが寄せてくれたメール。
「池尻町」について---赤坂宿から、池尻村、河間村、大垣町と東海道へ結ぶ鎌倉街道沿いにあり、関ヶ原合戦の前、石田三成軍が徳川軍の先遣隊を破ったところ。明治22年(1889)、河間村、笠縫村、笠木村、木戸村、一色村、興福地村と合併して北杭瀬村となりました。昭和3年(1928)、大垣市へ合併のさい、興福地村とともに残って赤坂町へ併合、昭和42年(1967)に大垣市に遅れて合併し、元の村名が町名となりました。古い寺院は残っているが、町並みに特徴はありません。
また、池尻村には戦国期の城があり、美濃国主・土岐頼芸の家臣の飯沼長就が築城し、本能寺の変後、池田輝政が城主となり、岐阜城に移ると廃城になった。天保郷帳に83戸、明治4年69戸の村とある。(平凡社『日本歴史地名体系21 岐阜県』より)
明治期の戸数が天保期よりも減っているところをみると、たつきの苦しかったことがわかるような気がする。辰五郎が盗みに走ったのもそのせいのようだが、池波さんは、信長と道三の関係をししらべいて、この村の存在に気づいたのであろうか。
(参照: 〔猫間(ねこま)〕の重兵衛 の項)
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コメント
池尻の辰五郎の捕物は凄いですね。
何が凄いって平蔵の登場の仕方があット言わせます。
早速「迷路」を再読始めて、
「池尻の辰五郎。年貢のおさめどきじゃ」と頭上から、凛々たる声が落ちて来たとの描写です。
火事装束の長谷川平蔵が、同心の酒井祐助と木村忠吾を従え、笹田屋の屋根へ姿をあらわしたと続いてます。
数ある鬼平犯科帳の中でも屋根から登場はこれ一編でしょう。
これまた池波さんの読者サービスでしょうね。
映像にしたら格好いいですよ。
池尻の辰五郎が観念し、自害したのがわかります。
投稿: 靖酔 | 2005.02.10 18:25
>靖酔さん
ほんと、屋根からの登場はこれ1篇ですね。
ところで、さっきから、池尻村の出てくる池波小説をさがしています。
畏友・川中さんの「赤坂宿から、池尻村、河間村、大垣町と東海道へ結ぶ鎌倉街道沿いにあり、関ヶ原合戦の前、石田三成軍が徳川軍の先遣隊を破ったところ」で、赤坂村に記憶があるのです。
たしか、家康の軍がここを通過したような記述があったような。
その忍者小説がどうしても見つからないのです。
投稿: ちょうすけ | 2005.02.10 18:52