〔野尻(のじり)〕の虎三
『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録されたいる[兇賊]の首魁である〔網切(あみきり)〕の甚五郎一味の幹部級の配下。
(参照: 〔網切〕の甚五郎の項)
江戸へ帰るために、倶利伽羅峠の頂上にある地蔵堂で休んでいた〔鷺原(さぎはら)〕の九平は、「鬼の平蔵の血を見なくちゃあ---」と話しあいながら峠をくだって行く3人づれの男たちを見てしまった。そのうちの1人が〔野尻(のじり)〕の虎三。
(参照: 〔鷺原〕の九平の項)
年齢・容姿:34,5歳。商人風。
生国:越中(えっちゅう)国砺波郡(となみごうり)野尻野村(現・冨山県東砺波郡福野町野尻)。
「野尻」とは、野の端っこの意だろう。そんな土地は日本中いたるところにあるはず。事実、ほとんどの県に「野尻」という地名は現在する。
で、当初は、野尻湖でよく知られている長野県を考えたが、倶利伽羅峠を北からのぼってくるという記述にあわない。それで、石川県か冨山県と見当をつけたら、なんと、東砺波郡に池波さんのご先祖が出た井波町の名が見え、つづきの福野町の大字に「野尻」があった。
探索の発端:鬼平を尾行して逆に注意を向けられてしまった〔鷺原〕の九平は、青山・久保町
で飯屋をやっている〔板尻(いたじり)〕の吉右衛門のところへ転がりこんだ。
(参照: 〔板坂〕の吉右衛門の項)
ある日、倶利伽羅峠で聞いた声の客が飯を食っていたので、尾行し、梅窓院の横道を南へ行ったところにある盗人宿をつきとめた。そこには、〔文挟(ふみばさみ)〕の友吉もいた。
(参照: 〔文挟〕の友吉の項)
梅窓院の泰平観音堂(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)
かれらが、向島の料亭(大村)で鬼平の始末をたくらんでいるらしいと知り、火盗改メへ急報しようと---。
結末:料亭〔大村〕での危地を出脱した鬼平は、〔網切(あみきり)〕一味を捕縛。甚五郎は獄門であろう。〔野尻〕の虎三らは死罪。
つぶやき:この篇は、『オール讀物』1970年11月号、すなわち、連載満3年目まじかに掲載された。松本幸四郎丈(白鴎さん)によるテレビも1年前から始まり、人気も急速に高まってきていたときである。
それだけに、編集部へもかなり自由がきき、原稿枚数もふだんの篇の倍近い。芋酒などもあしらって、話はゆったりとすすめられている。
『木曾路六十九次』に[野尻・伊奈川遠景](英泉)がある。現・長野県大桑村野尻。
英泉の傑作のひとつだし、池波さんはこの画集を愛好していた気配もあるので、「ハッ」と思ったが、〔網切〕の甚五郎との地縁で、やはり、越中国説を捨てきれない。
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