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2006.05.16

松平左金吾の暴言と見栄

天明8年(1788)年10月2日に、火盗改メの本役になった長谷川平蔵宣以を追っかける形で、同月6日に、冬場の火盗改メ・助役(すけやく)の肩書きを得た松平左金吾帝寅が、さっそくに放言したことを、宰相・定信派の隠密が『よしの冊子(ぞうし)』に書きとめている。

一. これまで、放火犯または盗賊を吟味するために逮捕している
  のは、はなはだよろしくない。火附盗賊をしない前に逮捕して
  こそ加役の第一の心得といえる。
  将軍のお膝元に火附盗賊がいるなどということははなはだ悪
  いことだから、そのような者をいないように、その前から手をう
  っておくのが加役のご奉公というもの。
  まず、それについては江戸中の無宿がはなはだ悪者である、
  これを残らず召し捕り首を切ってしまえ、とまではいわないが、
  せめて(水替人夫として)佐渡送りにすべきだ。
  田沼以来、とりわけ無宿人がのさばり、丹後縞などを着てい
  る者までいるというではないか。

これは、もう、暴言というべきであろう。

まず、放火犯、盗人を、事前に逮捕するべきだ---といっているが、放火犯や盗賊が、その行為をする以前に、どうして「やる」と見極めるのだ?
そんな見極めができるのは、神さまだけであろう。

また、将軍のお膝元に、そういう犯罪者がいるのはおかしい---というが、仮に、江戸から放出できたとしても、そこはやはり日本国内である。来られた藩は迷惑千万。

左金吾の頭の中には、たぶん、宰相・定信の考え方---無宿人は犯罪予備軍---が染みついていたのであろう。
だから、無宿人を佐渡ヶ島へ鉱夫として送りこめ、という。
犯罪を犯していな者を、金鉱の穴掘り人にしてしまえ---とは、法治国家の上に立つ者のいうことではない。

当時、佐渡金山の水替人夫の死亡率は極端に高くて、送られて半年もしないうちにたいてい病衰弱死したという。
佐渡送りになったのは、掏摸の現行犯が主であった。そこで掏摸は、捕り方に元髪(もとどり)をつかまれても、すぽんと抜けて、逃げおうせるように、元髪をかつらにしていたと。

将軍のお膝もとへ、凶作と飢饉のために、田畑を捨てた農民が無宿人となって集まったのは、大都会なら、なんとか露命がしのげると考えるのが、古今東西の例だからである。

その無宿人対策として、のちに、平蔵が、授産施設である人足寄場を提案し、石川島にそれを建設してもいる。
左金吾の暴論をいいっぱなしとくらべると、月とすっぽんほどの違いといえよう。

丹後縞うんぬんにいたっては、もう、この仁の情報の収集と判断の仕方は、幕臣としては「処置なし」というほかない。
無宿人の痛みがまるでわかっていないし、自分の目で見たものでもないものを、判断の基にしているのだから。

その点、平蔵は、人足寄場を無宿人の更生施設として考えている。

一. 左金吾は麻の上下の小紋、衣類の小紋など、みなおも高(沢
  潟 おもだかの葉を図案化したもの)の小紋のよし。
  目立つほどの大きな小紋のよし。
  これは拙者の替紋だといっているよし。

下々の暮らしぶりには目をつむり、自分の虚栄のみをみたしているだけのことではないか。

注:陣幕、裃、高張提灯などにつける定紋(表紋)に対し、私物などにつける紋を替紋という。

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