正以の養家
長谷川平蔵宣以(のぶため)の次男・銕(てつ)五郎が、養子先の諱名の「正」と実父の「以」を合わせて、正以(まさため)を名のっているが、名の銕五郎のほうは、養家の当主のものである久三郎に改めている。
というのも、養父・正満(まさみつ)が、なぜか、久三郎を継がず、栄三郎を名のっていたからである。
正満が栄三郎を名のったのは、父・正脩(まさひろ)が、当長谷川家三代目の正相(まさすけ)の次男・徳栄(たかよし)が廩米500俵を分与されて一家をたて、その五男の彼が養子にはいったために、祖父・徳栄の「栄」の一字をさずかったのであろう。
血のつながりからいえば、平蔵・長谷川家より、徳栄・長谷川家のほうが濃い。にもかかわらず、平蔵が正以を正満の養子としたのは、それだけ、平蔵宣以の根まわしが巧みであったとみる。このあたりに、平蔵のやり手ぶりが察せられもする。
長谷川一門で、家政的には最高の家禄4000余石をはんでいた、正満・長谷川家の系図を示す。
●初代・正吉(まさよし) 天正7年(1579)めされて家光の小姓
と なる。
しばしば加恩があり、4070石をたまう。
8万坪の別荘をたまう。
40歳卒(しゅつ)。娘4人で男子はなし。
●ニ代・正信(まさのぶ) じつは長谷川本家・筑後守正成 の長男。
正吉の長女の婿となる。
徒頭(かちのかしら)。書院番組頭。
淡路守・従五位下。
44歳卒。吉祥時に葬り代々の葬地に。
●三代・正相(まさすけ) 書院番士。先手弓頭。74歳卒。
●四台・正明(まさあき) 小姓組番士。
71歳卒。
●五代・正武(まさたけ) 32歳卒。
●六代・正誠(まさざね) じつは徳栄の次男。養子に入る。
小姓組番士。西丸書院番士。
小普請組支配。甲府勤番支配。
従五位下・下総守。
西丸持弓頭。
65歳卒。
●七代・正修(まさむろ) じつは徳栄の五男。
持筒頭。
69歳卒。
●八代・正満(まさみつ) 出仕の記録がない。
病身であったのであろう。
●九代・正以(まさため) じつは長谷川平蔵宣以の次男。
18歳で御目見。
正満の次女を妻とする。
初代・正吉がたまわった8万坪の別荘は、のちに29000坪を紀伊家に分譲。20000坪との記録がのこっている。
つぶやき:
宮城谷昌光さんの『史記の風景』(新潮文庫)で、天子の死去は「崩(ほう)」、諸侯は「薨(こう)」、大夫は「卒(しゅつ)」、士は「不禄(ふろく)」、庶民は「死」と記すと教わったが、『寛政重修諸家譜』は「卒」としているので、それにしたがった。
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コメント
少し前のつぶやきへのコメントです。
宮城谷さんの著作は含蓄がありますね。
小説という形式を十二分に生かし、
その上で、生きた教養がある。
野田菅沼一族を主題にした、
「風は山河より」などを読むと、
違った徳川将軍家の姿が見えてきます。
また、春秋戦国時代の一連の著作群を
読むと胸が高鳴ります。
「楽毅論」を読んでも、響きません
でしたが、宮城谷さんの著作を読んで
目が覚めた思いが致しました。
投稿: えいねん | 2008.09.13 02:02
>えいねん さん
ぼくの書棚にも、いつのまにやら、『楽毅』『香乱記』「孟嘗君』『子産』『管仲』『史記の風景』と、集まっています。
しんしんとして、心にしみこんでくる文章ですね。
投稿: ちゅうすけ | 2008.09.13 16:41