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2006.10.11

粂八が預かった〔鶴や〕

『鬼平犯科帳』文庫巻1の[暗剣白梅香]で、仕掛人として鬼平の暗殺をねらう伊予の浪人・金子半四郎は、船宿〔鶴や〕の亭主のおさまっていた仇の森為之助に返り討ちにあう。

森為之助は、〔鶴や〕を鬼平に預けて上方へ姿を消す。
鬼平はその〔鶴や〕を〔小房〕の粂八にまかす。

〔鶴や〕の屋号が、江戸時代の劇作者・鶴屋南北にあやかっているらしいことは、鬼平熱愛倶楽部のおまささんが推察した。
http://homepage1.nifty.com/shimizumon/dig/index.html
この[岸井左馬之助と春慶寺]の項。

船宿〔鶴や〕は、大横川に面し、扇橋の東南へ行った石島町にある。そのあたりは、亥ノ堀とも呼ばれていた。

いまは亥堀橋が架かっている。最近、あたらしく架けなおされたので、出かけた。

橋名を彫った親柱もすっかりモダンになつている。横桁にはローマ字でInohoribashi BRIDGEとしゃれていた。
外国の人にも鬼平ファンが増えていると、国土交通省はおもっているらしい。
橋は車の往来こそまばらだが、〔鶴や〕のような船宿があった趣きはまるでない。
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いつものことだが、今昔の思いをつよくした。

金子半四郎が橋の西北詰の居酒屋で〔鶴や〕の二階で左馬之助と盃をかわしている鬼平を見ていたのは、このあたりかな---などと勝手のきめて、しばらく岸辺にたたずんてぶみた。

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