白浪もの
阿部 猛さんは『泥棒の日本史』(同成社)の[あとがき]に、
「泥棒は歴史とともに古い職業のひとつといわれ、文学の題材としても多く採りあげられてきた。
それは洋の東西をとわないが、シラーの『群盗』、ブレヒトの『三文オペラ』、ダリアンの『泥棒』、ジュネの『泥棒日記』、レオーノフの『泥棒』などは著名である」
『三文オペラ』といえば、開高 健くんに『日本三文オペラ』がある。
詩人の故・木場康治くんの、大阪の造兵廠の焼け跡で、鉄屑を盗むようにして集めている人群があるとの示唆によって創作されたと、木場くんから聞かされたことがある。
開高くんも木場くんも、ともに同人誌「えんぴつ」での仲間だった。
「泥棒の話は深刻な話であるはずなのに、なぜか一種のおかしみをもって語られる。近代においては大衆文学の世界で採りあげられ、旧い呼称でいえば探偵小説、いま風にいえば推理小説の主体は探偵であるが、これも泥棒あっての探偵小説である」
ミステリーで記憶に残っているのはマイクル・クライトン『大列車強盗』(原作1975 ハヤカワ文庫 1981.7.21 乾信一郎訳)だ。ヴィクトリア朝の犯罪で、壮大で緻密な計画に舌をまいた。クライトンは、SF『アンドロメダ病原体』や近未来もの『ジュラシック・パーク』の作家でもある。
渋いファンの多いローレンス・ブロックには『泥棒は選べない』(ハヤカワ文庫 1992.2.29 田口俊樹訳)ではじまる愉快な連作もある。
池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』は、日本代表としてあげるべきだろう。
そういえば、阿部さんは、チャイナの代表作もあげていない。
「江戸時代の泥棒については、三田村鳶魚の著述があって豊富な話題を提供し(「鳶魚江戸文庫」中公文庫)、それ以来大正期には小酒井不木の研究があった(『犯罪文学研究』国書刊行会。1991年刊)、泥棒に関心を寄せる人は多く、たとえば高知大学の泥棒研究会は『盗みの文化誌』(青弓社。1995年刊)という真面目な研究書を公にしている」
「ウーヴェ・ダンカー著『盗賊の社会史』(藤川芳朗訳 法政大学出版局、2005年刊)は本格的な論考で、すこぶる参考に値いする」
図書館で探してみようかな。
落語での盗人の話は、靖酔さん、永代橋際蕎麦屋のおつゆさん、豊島のお幾さんに、歌舞伎の白浪ものは、みやこのお豊さんの書き込みを待つ。
文楽にも、盗みものはありましたか、亀戸のおKさん、蕎麦屋のおつゆさん? 『鶊山姫捨松』の中将姫のあれは盗みでも、職業的ではないから。盗賊を仕事(おつとめ)にしているのにかぎって。
| 固定リンク
「101盗賊一般」カテゴリの記事
- 〔蓑火(みのひ)と〔狐火(きつねび)〕(2)(2009.01.28)
- 〔蓑火(みのひ)〕と〔狐火(きつねび)〕(2009.01.27)
- 〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代(5)(2009.03.27)
- 〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代(2009.03.23)
- 〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代(4)(2009.03.26)
コメント
詳しいわけではありませんがご指名なので、
歌舞伎でも盗賊が活躍する演目を総称して「白浪物」といいます。
語源は中国の後漢書霊帝紀に「白浪谷に出没する盗賊団を白浪賊と呼んだ」と記されていることからきているとか。
歌舞伎の白浪物は河竹黙阿弥が数々の傑作を残し白浪作家として有名です。
「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」別名「白浪五人男」、「弁天娘女男白浪」。
弁天小僧菊之助の「知らざあ云って聞かせや
しょう」はあまりにも有名な名セリフですね。
この「弁天娘女男白浪」は今月の花形歌舞伎の演目の一つです。尾上菊之助が水も滴る弁天娘を。演じております。
黙阿弥の表す白浪物の主人は悪の道に入っても、大抵は善人で観客の共感をよびます。
「盗みはすれど非道はせず」という日本駄右衛門のセリフにあるように、悪事はしても義理人情に厚く、最後は改心して、自害したり縛についたりするのが共通した運命です。
有名な盗人鼠小僧を主人公にした歌舞伎狂言は「ねずみ小紋君新形(ねずみこもんはるんおしんがた)」です。
投稿: みやこの豊 | 2006.11.23 22:21
「阿波鳴」(あわなる)のように、
徳島藩のお家騒動に絡んで、盗まれた主君の刀を詮議するため、阿波の十郎兵衛・お弓は名を変え盗賊に身をやつし、というのはあるのですが、
歌舞伎のように盗賊自体が主人公というのはどうでしょうか、
どなたかご存じでしょうか
投稿: 亀戸のおK | 2006.11.24 11:31
落語で泥棒が出てくる噺は確か20前後はありますが、現在寄席や落語会で演じられ、聴けるチャンスがある噺というと
穴どろ
芋どろ(芋俵)
碁どろ
締め込み
出来心(花色木綿)
転宅
夏どろ
さて質問、この噺に共通のことは?
正解は泥棒に名前なし。
通称はあります。[でも泥]です。なにしろ何をやってもうまくいかないので泥棒でもやってみようというので[でも泥]
泥棒に入られた家と間抜けな泥棒のやり取りが噺の中心。
泥棒に入って泥棒が損する噺が「夏どろ」と「転宅」
一番可哀相な泥棒が「転宅」の泥棒さんで、なけなしのお金3両を巻き上げられてしまう。
この噺は先代金馬が面白かった。
投稿: 靖酔 | 2006.11.25 09:13
落語通の靖酔さんが充分に紹介されているのですが、聞いた噺でなかなか意味深い、ウイットにとんだ落語の「だくだく」などいかがでしょう。
まぬけな泥棒がしのびこんだ家はじつは芝居の「書割」よろしく家財道具を一面にかいたもの。
目の悪いその泥棒がやっと気が付きそっちがそうならとたんすをあけたつもり、包んだつもりと・・・
その一部始終を見ていた家主、槍でさしたが射された泥棒さん血がでたつもりでだくだく。
後味の良い一席です。
投稿: 永代橋際おつゆ | 2006.11.25 10:07
「だくだく」にはまったく気がつかなっかた。
この噺を抜かしてはいけませんでした。
それにしても落語の演題は面白いですね。
泥棒のはなしではないけど「ぞろぞろ」なんて言うのもありますからね。
投稿: 靖酔 | 2006.11.25 10:34