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2006.11.10

高輪うし町

高輪うし町

大寺院や江戸城の増築の資材運びに、大量の牛車が下向してきた。その数、千頭近かったという。

牛たちの住まいは、高輪大木戸の外へ置かれた。動物臭と騒音公害のためだったろう。俗称・牛町、正しくは車町。

とはいえ、絵で見てる分には臭ってはこない。
で、雪旦は、動物園の案内図のように、厩舎の配置図のようにあくまで精緻に描いて実を伝えようとする。
(塗り絵師・小金井の住人 朝日カルチャーセンター新宿 元[鬼平]クラス)
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広重は、画題は[高輪うしまち]ながら、いつもの伝で、クロースアップした天を衝くかじ棒で三角空間をつくり、虹をからませる。円を描く車輪の向こうには、牛に代えて2匹の犬。中景色して捨てられた片草履、西瓜の食べ滓、遠景に袖ヶ浦へ帆行する舟。
虹の色合いはともかく、大胆な構図で臭いや啼き声もみごとに見手の意識から消し去る。
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地誌の挿絵と土産絵の対蹠。

拡大画像↓クリック
0088高輪牛町

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コメント

高輪牛町。牛たちの住まいは高輪大木戸の外におかれていたとのこと。

現在、高輪大木戸の南に、「願生寺」という名の寺院がある。
東海道から細い路地を入り、門をくぐると狭い境内がある。
境内左手に「石塔」が目に留まる。
その石塔の台に「牛供養塔」と大きく刻まれている。
まさしく高輪牛町に住まった「牛たち」の供養塔である。

投稿: 秋山太兵衛 | 2006.11.10 21:24

>秋太兵衛さん

ああ、願生寺ね。あのお寺さんは、いつ行っても門柵扉が閉まっていますが、よく、お入れになりましたね。

投稿: ちゅうすけ | 2006.11.11 08:08

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