葵小僧の発見
河出文庫[鳶魚江戸ばなし]シリーズ・その1にあたる『泥坊づくし』(1988.3.4)を、鬼平熱愛倶楽部メンバーのおまささんのご尽力で手に入れることができた。
青蛙房の『三田村鳶魚・江戸ばなし』を底本とした、河出文庫のシリーズその2『江戸の女』(1988.8.4)、その3『女の世の中』(1988.11.4)、その4『徳川の家督争い』(1989.3.4)はすでに所有している。
なんでもかんでも揃える趣味はなく、その5『赤穂義士』は中公文庫でもっているから、あえて買わない。
『泥坊づくし』を捜したのは、中公文庫[鳶魚江戸文庫]その1『捕物の話』 (1996.9.16)、その6『江戸の白浪』(1997.2.18)に、『泥坊づくし』に収録されている「日本左衛門」「五人小僧」「鬼坊主清吉」が載っていなかったから。
『鬼平犯科帳』シリーズほかのネタが、それらにありそうにおもえたので。
案の定だった。
「五人小僧」に[槍を持たせた葵小僧]の項があった。
寛政三年(1791)の四月十六日から二十ニ日まで、江戸市中は
普通の警備では不足だとありまして、御先手の三十六組から火
付盗賊改の本役加役のニ組は平素出て居りますが、この際は残
り三十四組が総出になりまして、当番十四組が七箇所の番所を
建て、非番二十組は臨時に市中を巡廻しました。
(ちゅうすけ注) 寛政2年秋から翌3年春へかけての、火盗改メの加役(火災の多い冬場の助役は佐野豊前守政親だったが、3月17日に任を解かれている)。
4月7日から翌年5月11日まで、松平左金吾定寅が異例の発令をされている。
助役というより増役というべき性格の発令である。
勘ぐると、自信家の定寅が松平定信に働きかけて、葵小僧用に増役を買ってでたとも考えられる。]
ついでながら---このときの先手組は、あわせて34組であった。
それほどに市中が物騒でありまして、押込やら追剥やら、おびた
だしい盗難でありました。
武家屋敷でも夜分は家来を外出させない。町々では木戸を締切
り、一切往来を止めました。
その中を横行したのが葵小僧で、真に神出鬼没といいますか、一
夜のうちに何軒ということもなく、押込んで劫奪するのです。
(ちゅうすけ注) ははーん、逢坂 剛さんが、葵小僧と大松は同一人物との説があるが---とメールをくださったのは、松平定信『宇下人言』に、一晩に何箇所も襲った大松という盗賊のことが記録されている。それで、その説が出たものと、いま、わかつた。
その行装がまた素晴らしいので、自身は駕篭に乗り、若党を連れ
た上に、槍を立て、鋏箱を持たせ、葵の紋ついた提灯を点じて押
廻します。
ちょっと見た目には高取りの旗本衆のようでしたが、こうして供方
連れて大威張で歩く泥坊が、半月以上も捕えられないのですか
ら、これだけでも八百八町の人心は落ちつかない筈であります。
それでも漸く本役の長谷川平蔵の手で、この葵小僧を捕らえまし
て、五月三日には獄門となりました。
稀有の大賊でありますのに、葵小僧のことは何も伝わって居りま
せん。
処刑と共に一切を抹消してしまったのは、さすがに長谷川平蔵の
取計らいだと思います。
この葵小僧というやつは、泥坊に入った家毎に、女房でも娘でも
居合わせ次第、きっと嬲りものにした。
捕らえられて葵小僧は得意げに白状したので、引合いに呼び出さ
れた女房は、長谷川の尋ねについて返答に困りきった。
そこは機転のいい長谷川平蔵だけに、事件を大概に打切って、急
いで処分してしまったのです。
池波さんが短篇[江戸怪盗記]、さらにこれを書き増した[妖盗葵小僧]のヒントは、これだったようだ。
葵小僧のWho's Whoは、
〔葵(あおい)小僧〕芳之助
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コメント
このあと、鳶魚はこうしめくくっている。
日頃から吟味が早いといわれていた長谷川であります が、葵小僧一件は最も早かったので、数日の間に結審 し、幕閣の方でも委細承知して居りますから、三日ほ どで仕置伺いを決定いたしました。
捕えられてから十日たつかたたないかなのに、葵小僧 の首は晒し物になったので、これほど早い一件落着 は、約三百年間の江戸に珍しかったのです。
投稿: ちゅうすけ | 2006.11.28 16:30