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2007.01.22

中山道・小田井←→江戸

朝日カルチャー・センター(新宿)鬼平クラスで、ともに学んだ上尾宿のくまごろうさんは、中山道を完歩した方である。その記録の一部は、ブログ[大人の塗り絵『江戸名所図会』]の[中山道(木曾街道)六十九次 広重&英泉]に引用させていただいている。

その〔くまごろうさん〕から、 [8-3 明神の次郎吉]の冒頭の部分にミスプリがあるとのご指摘があった。

江戸から四十四里十四丁をはなれた信州・小田井の宿場(中山道へ入って来た商人ふうの旅の男が、すでに灯(ひ)のともった宿場町を通りすぎ、江戸の方へ去っていった。 文庫p90 新装p95

031360_1

小田井宿から追分宿は約6m。追分から軽井沢は約9km。
(明治20年ごろ 陸地測量部製)

Photo_278池波さんが机側に置いていたはずの岸井良衛『五街道細見』(青蛙房)の「小田井」も図版のとおりである。
「江戸へ四十里十四丁」としている。

池波さんがしばしば引用なさる秋里籬島『木曽路名所図会』も追分までを1里10丁としている。
『五街道細見』は、これの宿々の合計を出して40里14丁と積算し、里程標も確認したに違いない。

ぼくは、池波さんの年齢を8歳ほども越えた。『五街道細見』をちらっと見たとき、「里」が「四里」に見えた。
深夜執筆がくせだった池波さんにも、そう見えたのだろう。

しかし、単行本やら文庫やら、何人もの専門家の眼を経て印刷されているはず。
もっと早めに、誰かが気づいてもよかったのでは。

ついでだから、広重の小田井宿はずれの絵と、英泉の追分を掲出しておく。
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『木曾海道六拾九次之内 小田井』広重

20360
『木曾街道 追分宿 浅間山遠望』英泉

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161小説まわり・ロケーション」カテゴリの記事

コメント

三方の顔が立つような、諧謔なコメント、泉下の池波さんも苦笑されていることでしょう。

投稿: 上尾宿のくまごろう | 2007.01.26 18:07

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