寛政重修諸家譜(6)
大正6年(1917i)に栄進舎によって刊行された『寛政重修諸家譜』全9巻について、ミク友であり学兄でもある[えむ]さんから、メッセージが2通、とどいた。
[えむ]さんの研究母体であるW大学の図書館に、栄進舎版があるということなので、リサーチをお願いしておいたのだ。
まず、2007年4月9日の『寛政譜(5)』 に、栄進舎版の奥付に【非売品】とある件について。
W大学図書館所蔵本には、 [東照宮三百年祭記念会]からの寄贈である印が捺されていると。
[えむ]さんの推理だと、「出版もその会による自家出版?ではないか」と。
なるほど、その線だと、 【非売品】の理由もつく。
しかし、[えむ]さんも、「ちょっと読んでみましたが、膨大なエネルギーをかけて書かれた本なのですね。改めて舌を巻きました」と感嘆しているごとく、栄進舎版『寛政譜』は、ちょっとやそっとの手間で刊行できるほど、なまやさしい事業ではない。
5000数家から提出されている手書きの「先祖書」を活字化したわけである。
想像を絶する学識者の労力と膨大な資金を要する。 [東照宮三百年祭記念会]がどのような組織であったかは知らないが、一会の手でこなしうる事業ではなかったはず。
奥付に会の名も印刷されていない。
[えむ]さんは、推理の基として、栄進舎版の「活字本寛政重修諸家譜序」を抜粋してくださった。
「先年故男爵岩崎弥之助君内閣本ニ拠リテ一本ヲ作ラレシコトアリ、現ニソノ静嘉堂文庫ニ蔵セラル」も、世人はもとより専門家もなかなか利用できないので、「是レ予輩ノ久シク遺憾トスル所ナリキ、然ルニ列聖全集編纂会ハ、予輩ノ勧奨ヲ容レ、内閣ノ許可ヲ得、本書ヲ印行シテ世ニ公ニセントノ企アリ、予輩ハ、ソノ学界近来ノ一快事ナルヲ信ジ、曩ニ之ヲ江湖ニ紹介セリ、男爵岩崎小弥太君ガ、特ニ門外不出のノ書ヲ編纂会ニ貸シテ、出版ノ便ヲ与ヘラレ、東照宮三百年祭記念会ガ、至大ナル援助ヲ与ヘラレシハ、トモニ斯界ノタメニ感謝スヘキコトナリトス」
「大正六年七月 東京帝国大学文科大学教授兼史料編纂官
文学博士 三上参次」
これで東照宮三百年祭記念会の資金援助の次第は判明。
ただ、三上博士の「序」には、次の一文もある。
「予約出版ノ事公告セラルルニ及ビ、天下翕然トシテ之ニ応ジタル---」
すなわち、予約出版だったのだ。だから【非売品】。予約価は不明。
池波さんが大枚20余万円を古書店に支払ったのは、古書の世界において、それほど稀覯(きこう)本だったのである。
刊行セット数などについては、有力古書店のご店主に教えを乞いたいところ。
さて、次の疑問。もともとの装丁の色---ぼくの記憶では「グレー」だったが、W大学の所蔵本は、[えむ]さんの写真では黒に近い「焦げ茶」。
ぼくの記憶間違いだろうか。
気になった。台東区の池波正太郎記念文庫の復元書斎へ走った。
本類の焼け防止のため、照明は薄暗くしてあり、判然としない。
係の年配女性に確認した。
「黒に近い焦げ茶」
とのこと。---「憲法茶」。
W大学の蔵書のとおりであった。
[えむ]さんの労に感謝。
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コメント
なるほど、という思いです。「予約出版」の言葉が「非売品」に結びつくとは、西尾先生が指摘されるまで気付きませんでした。いまの本の流通とは全然違うシステムだったのですね。僕はついちょっと高額な百科事典の予約購入みたいに思って、一般の小売ルートと全く別物と考える想像が働きませんでした。
ちなみに早稲田には(別に隠すほどのことではないので公言しますが)、地下書庫には土岐善麿先生寄贈の土岐文庫に国書刊行会版があります。そちらもどうも再装丁されているのかも知れませんが、そのセットは、グレーだったような気がします。
司馬さんのエッセイなどで、江戸期に入った大名たちが自分たちの系図をでっちあげることに苦労して儒家などに頼んだような逸話が紹介されていますが、いまならば『寛政重修諸家譜』を見て、適当な人物に結びつければそう難しくないじゃないか、なんて思っちゃいますが、当時はそもそもその『寛政重修諸家譜』がなかったのですよね。それぞれの家の伝承などに詳しく、その「隙間」を発見して先祖の固有名詞を連ねる手間など、ものごとの最初というのはなんでもたいへんなものだなあなどと夢想します。マニュアルやインデックスができてからはそれを作った人の苦労など想像がつかなくなってしまいますが、考えてみるともとのそれを作る作業は、非常にクリエイティブ(?)な作業で、人材が鍛えられそうな気がしますね。
投稿: えむ | 2007.04.10 16:30
先生とえむさんのお蔭で「寛政重修諸家譜」刊行の経緯が解明されました。
ありがとうございます。
岩崎小弥太といえば岩崎弥太郎の甥で三菱財閥を完成させた人と聞いてますが、単なる財界人ではなく見識が高い人だったのですね。
投稿: 靖酔 | 2007.04.11 18:15
>靖酔さん
僕の勝手な想像ですが、三菱の岩崎家は弥太郎の代に土佐の下級武士から急に成り上がって、甥の小弥太は薩摩の島津家の分家の男爵の娘と結婚したりしているそうですから、急いで当時の日本の華族や上流階級の家系などに詳しくならなければ社交にいちいち差し支えたのかも。なんか下司な勘繰りをしてしまいました(笑)。
投稿: えむ | 2007.04.12 00:23