村上元三さんの田沼意次像
長谷川伸師の一門である故・村上元三さんに『田沼意次』(毎日新聞社 のち講談社文庫)があることは、、2006年12月29日から5回にわたってアップしている。
また、2007年10月9日[30年來の疑問]でも触れた。
書庫の隅から、村上元三さんのエッセイ集が2冊出てきた。『江戸雑記帳』 (中公文庫 1977,910)と、 『六本木随筆』(1980.2.25)。
前者に、『加賀騒動』の主役・大槻伝蔵についての小文があり、
歴史上、あるいは巷説、講談、歌舞伎などで悪人扱いをされてきた人物に興味をもったのは、昭和十年、作家になり立てのころあった。
昭和十六年に直木賞をもらってから、「サンデー毎日」に「北斗の鐘」という連載を十三回書いた。その中で、賄賂取りの名人で悪徳政治家の見本のように言われていた田沼意次の冤を、いささかでも雪いだ、と思っている。田沼もよくないことはしているが、当時の新知識といわれる人々を身分にかかわらず自邸に集め、その意見を聞く、ということをやっているし、当時としては珍しいことに開国主義者であった。しかし、太平洋戦争に突入したので、やはり書くものに制限を受け、そう自由には逝かなかった。戦後になって、「佐々木小次郎」や「新選組」「銭屋五兵衛」などを連載で書き、「改造」に「足利尊氏」を書いたのは、戦時中に抑圧された反撥、というほど大げさなものではない。
わたしの師匠の長谷川伸先生は、歴史の流れに埋められた、あるいは埋めさせられた人々を掘り起こして書く、という仕事を続け、それを自分で紙碑(しひ)と呼んでいた。弟子のわたしも、そのひそみにならった、と言ったほうが当っているいるだろう。
『田沼意次』(毎日新聞社)の「あとがき」には、上記を補うように、
田沼意次に興味を持ちはじめたのは、戦前、師の長谷川伸先生から、門下一同に「めいめい専門を持て」と言われたためであった。そのころ北海道、千島、樺太などの歴史を材料に、いくつか短篇を書いていたので、自分では北方物と呼ぶ専門を持つことにした。
はじめて『サンデー毎日』に連載を書くとき、「北斗の鐘」という題名で、北方問題を扱った。宝暦から天明年間にかけての資料を漁っているうち、時の老中で賄賂取の名人といわれた田沼意次に興味が起ってきた。しかし戦時中で、豊富に資料を集めることができず、その資料も戦災で焼けた。
戦後になって、何べんか短編の中で意次と、その用人の三浦庄二を登場させた。三浦は実在の人物だが、素性も顔立ちも創作したもので、わたしにとっては馴染みの深い人物になり、声をかければ、いつでも現れてくれた。
この「田沼意次」は、『世界日報』に昨年(注;1984年)の十月まで七百七十回、連載した。これでもう意次を書くことはあるまい、と思うと、戦前戦後にかけて扱ってきた人物だけに、やはり感慨が残った。
この作品で、いささか意次の雪冤らしたと思っているが、やはり資料を集めるのに苦労をした。主人公があちこちと歩きまわっていると、その跡を追って行くのが普通だが、意次は居城のある遠州相良のほかは、どこへも旅していない。屋敷と江戸城のあいだを往復しているだけなので、たまには生き抜きに旅をさせたくなった。しかし、意次を、史実にない旅行に出すわけには行かなかった。(以下略)
2つの小文を書き写して思ったのは、2007年10月9日[30年來の疑問]の書き直しだが、その前に、「北斗の星」を探して読んでみないことには---。
「北斗」は、北方と、田沼家の家紋---七曜にかけた題名であろうか。
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コメント
『北斗の鐘』と『北斗の星』は、違う作品ですか?
相良の町のレポート、お待ちしております。
投稿: ぴーせん | 2007.11.04 20:57
>ぴーせん さん
申しわけありませんでした。
『北斗の星』は、訂正しましたように『北斗の鐘』のミスタイプでした。
これから、作品さがしです。
投稿: ちゅうすけ | 2007.11.05 04:09
先日、引用した文庫版『田沼意次』の「結びに」の前の部分は、
『この長編『田沼意次』を書くきっかけは、戦争前、自分で北方物と称していた一聯の作品を書いているうち、日本の北方問題に田沼意次が深くかかわり合っている、とわかったからであった。「サンデー毎日」に連載した『北斗の鐘』という長編の中に、はじめてわたしは田沼意次を登場させた。その後も、長編、短編の中で何べんも田沼意次を扱ったが、なんとしても残念なのは、意次に関してまとまった資料に乏しいことであった。』
とありました。
投稿: ぴーせん | 2007.11.06 02:04