本多采女紀品(のりただ)(6)
「本多さま。じつは---」
と、銕三郎(てつさぶろう宣以(のぶため 家督後の平蔵=小説の鬼平)は、江ノ島の旅籠〔三崎屋〕の大部屋での朝飯のときに、すり寄ってきて、弥兵衛と名のった、一と癖もニた癖もありげな男のことを打ちあけた。
「齢は40がらみで、でっぷりと肥えて、脂ぎった赤らがお。鼻のあたまがとりわけ赤黒く、大きな黒い毛穴が目立ちました。左の眉毛の先が剃刀ででもそいだように切れておりました。声が齢の割りにしてはかん高いのが耳ざわりでした。背丈は5尺2寸(1m56cm)見当---といったところでしょうか」
「通り名かなにか、言わなかったかな?」
「申しわけございません。名のりかけたのを、拙が遮ってしまいました。聞くとかかわりができそうに思いましたもので---」
聞き取った本多采女(うねめ)紀品(のりただ 49歳)は、先手・鉄砲(つつ)の16番手組頭で、火盗改メの助役(すけやく)を拝命している。
「銕三郎どののせっかくの人相こころ覚えだが、じつは、火盗改メが人相書をつくって残しておくのは、火付けの上に盗みをした盗賊ぐらいでな。もちろん、組にもよろうが---」
そういって本多紀品は、いま、火盗改メに任じられている3組の先手組の人員を明かしてくれた。
本役 本多讃岐守忠昌 屋敷・牛込山伏町
先手・弓の8番手 与力10人・同心30人
組屋敷 市ヶ谷本村町
【参考】個人譜は、2008年2月12日[本多采女紀品](4)
助役 本多采女正品 屋敷・表六番町
先手・鉄砲の16番手 与力10人・同心50人
組屋敷 小日向切支丹屋敷
【参考】個人譜は、2008年1月23日[与詩を迎えに](33)
増役 篠山靱負佐忠省 屋敷・神田橋門外
先手・弓の5番手 与力5人・同心30人
組屋敷 四谷本村町
【参考】個人譜は、2008年2月11日[本多采女紀品](3)
(四谷門外 先手・弓 緑○=5番手 青○=8番手組屋敷)
(小日向 先手・鉄砲 赤○=16番手組屋敷 両地図とも尾張屋板)
先手組の構成員は、基本は与力10人、同心30人だが、組によって増減がある。
組頭は、小十人組の頭(かしら)、徒(かち)の頭、目付、使番、書院番や小姓組の与(組 くみ)頭などから指名される。
弓組10組。
鉄砲組20組。
西丸鉄砲組4組---幕府後半期の構成である。
この頭(かしら)の中から、火付盗賊考察---通称・火盗改メが選ばれる。
年間を通しての本(定)役の場合は、申請すれば同心の臨時補充もあるが、短期の助役(すけやく)や増役(ましやく)には、それはない。
助役は秋に任命され、晩春に解かれる。冬場に多い火事対策である。
増役は、適宜、
組の全員が火付けや盗賊の逮捕に当たるわけではない。、
若年寄への報告書や町奉行所への写しなどの書類仕事にほとんどの手をとられていて、捜査・逮捕に向けられる人員は、定員の3割ほど。
それでいて、24時間体制だから、とにかく忙しい。
人相こころ覚えなど、どの組もほとんどつくっていないのではなかろうか。
「ま、町奉行所へとどけた写しを、運がよければ、あちらで保管しているやもしれないが---」
本多紀品が気の毒そうにいうと、父・平蔵宣雄が引きとって、
「その、弥兵衛とやら---疑わしいだけで、盗賊という確かな証(あか)しがあるわけではないのだから、お忙しい本多さまのお手をわずらせしてはならない」
そう、銕三郎に釘をさした。
【ちゃうすけ注:】火盗改メは、頭(かしら)の自宅が役宅となる。それで、3人の頭の屋敷を書き添えておいた。
役宅に備えられる白洲、仮牢や捕物具の置き場所なとについては、また改めて。
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