〔荒神(こうじん)〕の助太郎(9)
「ありえやす。小田原への入り女の吟味は手軽でやすが、三島宿(しゅく)の側へ抜ける、出女に対する人見女の吟味は、ちらとでも怪しいと感じたら、それこそ、結(ゆ)い上げている髷(まげ)をばらばにほどいて、1本ずつ調べるそうです」
〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)は、箱根路の荷運びという商売柄、関所の改めには、裏の裏まで通じている。
「その孕み婦(おんな)だが、道中手形には、腹にややが入っていると書かれていたとおもうが、何ヶ月目とまで書くのかな?」
女のことには純情な岸井左馬之助(20歳)らしい疑問である。
「そりぁ、書きやすでしょう。そうか、3月目と書かれているのに、10日もしないうちに、臨月近くにまでふくれていやしたんだと、人見女は、素裸にしてでも吟味しやすな。それを恐れた3人組は、関所の裏道を抜けようと計りおった---」
そういう詮議は2人にまかせて、銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの火盗改メ)は別のことの推察にひたっていた。
盗人・〔荒神(こうじん)〕の助太郎(45,6歳)の情婦が、仮に妊婦だったとして、腹に小判を巻いて裏道を抜けた。
金は躰を冷やすというが、腹の中の子に悪いことは及ばなかったであろうか。わずか1日のことでも、海につかったばかりに、子が流れてしまったという話を聞いたような気がする。
つづいて、阿記(あき 23歳)と、自分の子にちがいない1歳3ヶ月の幼児を想像した。
(歌麿 [針仕事]部分)
(尼寺では、腹のややに障るようなことはなかったであろうか?)
耳に、幼児の「きゃっきゃっ」という笑い声が聞こえたように思えた。
煮えあがったしゃも鍋から、しゃもの身を小鉢にとりながら、左馬之助が言う。
「銕つぁん。何百両巻きつければ、臨月近いでか腹になるかな?」
「左馬さんは、純情でけっこうだな」
「馬鹿いうな。これでも、密偵になった---」
「しー」
「---おぬしたちの手伝いをしておるつもりだ。なにも、刀技(かたなわざ)だけがわしの得手ではない」
「わかったから、しばらく、放っておいてくれ。いま、考えごとをしているのだ」
「考えごととは、どんな?」
「権七どの。あの者たちは、荷を権七どのに持たしたと---」
「へえ。山道はつらいから、といいやして、すっかり---」
「それだ」
「えっ?」
「わざとそうして、小判を運んではいないふうを装ったのです」
「なぜ?」
「権七どのに証言させるために---」
「するってえと---?」
「そうです。投げ文をしたのも、あの者たちでしょう。権七どのを調べさせるために」
「なんとも、憎い奴らで。しかし、投げ文は、江戸口門の目安箱に---」
「金をつかませれば、やる旅人はいくらでもおりましょう」
「権七どの。あの者たちと別れたところは?」
「関所を抜ければというので、三島宿の手前の、けもの道が箱根山道に近づく、馬坂社の境内で別れて、あっしは、お須賀の店へ泊まりやした」
(懐中「東海道中道しるべ」 三島口 緑○=馬坂社あたり)
「時刻は?」
「孕み婦(おんな)の足が遅えもので、7ッ(午後4時)をまわっておりやした」
「2月の7ッだと、もう、日が落ちかかっていますね」
「へえ」
「その者たちは、三島宿(しゅく)の旅籠(はたご)には入っておりませぬ。身重女が一晩で並み腹になったのでは疑われます。三島宿のどこかに盗人宿(ぬすっとやど)を置いていたのでしょう」
「するってえと、駿州・志太郡(しだこおり)花倉郷というのは?」
「目くらまし、です」
「ぬけぬけと、ようもようも、この権七さんを嵌めやがったな」
「どんなに悪賢い者でも、手ぬかりの一つや二つはあるはずです。悪者との知恵くらべと言ったのは、このことです」
「わしには、手におえぬわ」
左馬之助がはやばやと降りた。
「左馬は、純情と剣技がとりえなのです」
「手ぬかり---といいますと?」
責任を感じた権七が、何かの手がかりを思いだそうとして、訊いた。
銕三郎の言ったのは、小判を腹に巻いて、身重婦(みおも おんな)に見せかけるという思いつきは、ふつうには出てこない。
その情婦は、道中手形に書かれていたとおり、じっさいに孕んでいたのであろう。
【ちゅうすけ付言】その婦(おんな)の腹のややは、のちに2代目〔荒神(こうじん)〕のお夏として文庫巻23長編[炎の色]に池波さんが登場させ、未完の長編[誘拐]でおまさをかどわかさせた女賊であろう。
腹に子を宿した者が、長く歩いたり駕籠にゆられたりするものではない。
住まいは三島か、その近在。
そこで、ややが安定する、腹帯の時期の道中手形を書いた庄屋なり寺なりを、三島宿の代官所で調べさせれば、容易に女の素性が割れるはず。
京なまりがあったということは、生まれがそうで、なにかのことで下ってきて、三島あたりに住みついていて、助太郎の情婦になったとおもえる。
ねらい目の一番は、旅籠の女中か飯盛り女であろう。
「とりあえず、おもいつくのは、このあたり」
「さすがでやす、長谷川さま」
「いや。助太郎たちは捕まるまい。いまごろは、上方のどこかで、のうのと暮らしていよう」
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