〔橘屋〕のお仲(2)
「お絹(きぬ 12歳)と離れて、鬼子母神(きしもじん)さんのそばで、こうして、安心して働けていることが、ふしぎにおもえるんですよ」
雑司ヶ谷の料理茶屋〔橘屋〕に4つある離れ座敷の一つで、香を炷(た)きこめ、蚊やりの煙をたなびかせながら、銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの鬼平)と同衾しているお仲(なか 33歳)が、しんみりした声でうちあけた。
宿直(とのい)の当番の夜である。
女中頭・お栄(えい 35歳)が、お仲と銕三郎のあいだがらを心得ていて、嫁を迎える前の若い男に、おんなのからだのツボの悦(よろこ)ばせ方を会得(えとく)させるのが、30代後家たる者のつとめだと、春本まで貸して、けしかけたのである。
(国芳『江戸錦吾妻文庫』[夏の夜] イメージ)
たっぷりと念をこめた行為を終えて、躰の熱気をさましていると、母性が帰ってくるのは、すぐそばの、鬼子母神の女神・訶梨帝(かりてい)の功徳であろうか。
ものの本にこうある(抜粋)。
きしもじん【鬼子母神】 「きしぼじん」とも読む。インドに由来する女神で、サンスクリット語では、「ハーリティ」。
もとは暴悪で、他人の子を奪い取って食らう悪鬼であったが、のちに仏の教えを聞いて懺悔し、仏弟子となり、子授け・安産・子育ての善神となった。左手に児を抱き、右手に吉祥果(きちじょうか)と呼ばれる果実(いっぱんにザクロ)を持つ天女形。とくに日蓮宗で盛んに信仰される。
雑司ヶ谷の鬼子母神は、『鬼」という字の最上部の「ノ」を除いている。仏に帰依したから、鬼の角が取れたのだと。
「お絹どのの父親は---?」
「死にました」
「立ち入って悪いけど、いつごろ?」
「お絹が2歳のとき---」
「お仲は21だったのだね」
「はい」
「それから、ずっと、お仲は、働いてきた?」
「あの子をあずけて---おんなが一人で子育てするのって、たいへんなんです」
「そうだろうと、おもう」
「どうしても、男の人がかかわってくるんです。でも、どの人も、ご自分が楽しむことが、まず、先に立って---」
「------」
「あなたは別」
「拙のような、羽織の1枚も買ってやれない部屋住みの男で、すまないとおもっている」
「ふしぎなんですが、銕三郎さまとは、齢が11も離れているのに、なんの思惑(おもわく)も先ばしらせることなく、安心して、睦み合えるんです」
「姉はいなかった拙だが、姉をかばいながら甘えるって、きっと、こういう気分なんだろうな---とおもえてきている」
「ほんと、なんの気がねもなく、生(き)のままで---」
「さ、丁をめくりました」
(丁とは本のページの2ページ分のこと)
「ここを、こう、持ちあげて、そこへあなたが、こう、入り、こう、抱いて---」
「剣術と似ている。剣も、相手の仕掛けに、こちらも息と躰(たい)をあわせ、ここぞというときに撃つ---」
「あ、撃って、そこ、撃って---もっと---」
(キャプション 昔高田四ツ家町に住せし久米といへる者、一人の母に孝あり。家元より貧しく孝養心のままならぬをなげき、つねに当所の鬼子母神へ詣し、深くこのことを祈りしに、寛延二年の夏思いつきて、麦藁をもて手遊びの角兵衛獅子の形を造り、当所にて商いしに寛延ニ年(1749)の夏、ふと思いつきて、麦藁もて手遊びの角兵衛獅子の形を造り、これを当所にて商いひしに、その頃はことに参詣多かりしかば、求むる人夥しく、つひにこの獅子のために身栄え、心やすく母を養ひたりとぞ。至孝の徳、尊神の冥慮にかんひしものなるべし)
「お頼みしてよろしいでしょうか」
「なに?」
「これ---鬼子母神さんの境内の店屋で売っている、すすきでつくったみみずくなんです。それと、名物の飴。お絹にとどけてやってくださいませんか?」
「雑司ヶ谷ということがバレるから、拙の参詣みやげということにしていいかな」
「そうでしたね---」
【ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻23 長篇[炎の色]p98 新装版p97に、この「木莵(みみずく)の玩具(おもちゃ)」が登場していることは、鬼平ファンならとっくにご存じ。
「幸い、お松(まつ 30歳前)が江戸を離れたことは、〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 32歳)どのが新宿まで尾行(つ)けて、甲州路をのぼって行ったことは、たしかめてある。しかし、〔初鹿野(はじかの)〕一味の主だった者たちが江戸を去ったかどうかは、まだ、はっきりしないのだ」
「いつになったら---」
「もう、しばらくの辛抱だとおもうよ。いま、盗賊仲間のうわさを、〔盗人酒屋〕の忠助(ちゅうすけ 45歳前後)どのが集めておるから」
銕三郎の指を口にふくみ、舌でちょろちょろ舐(な)めながら聞いている。
座敷客の応接で鍛えられ、2つのことが同時にきちんとできるようになっている。
(剣術遣いなら、二刀流の遣い手だな)
「月末も来ていただきたいのですが、あたしの躰のつごうが生憎(あいにく)なんです。お逢いしてお話しするだけで、よろしければ---」
「たぶん、参れるとおもう。そうするように、つとめよう」
「うれしい」
「覚えておくよ。新月のころなんだね」
「月初めの5の日には、お迎えできます」
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