〔橘屋〕のお仲(6)
(弘化期近郊図・部分 青〇下=長谷川邸 上=鬼子母神)
「奥方さま、ようこそ、お運びくださいました」
〔橘屋〕忠兵衛(ちゅうべえ 50歳がらみ)が、迎えの辞を述べた。
(料理茶屋〔〔橘屋〕忠兵衛 『江戸買物独案内』)
案内されたのは、銕三郎(てつさぶろう 22歳)と、ここの女中・お仲(なか 33歳)が睦みあっているほうの離れの部屋であった。
(父上と忠兵衛どのとは、しめしあわせておるのであろうか)
銕三郎は、忸怩(じくじ)たるおもいだったが、顔にはださなかった。
宣雄も忠兵衛もそしらぬふりをしている。
(役者は、むこうのほうが上だからな)
茶菓を運んできたのは、女中頭・お栄(えい 35歳)であった。
忠兵衛が、お栄を宣雄(のぶお 49歳)と内妻・妙(たえ 42歳)に顔つなぎした。
「長谷川さま。お栄は、ここへ来て、もう、13年になります。それがお初にお目にかかるということは、それだけおわたりにならなかったわけですぞ」
「参った。公務多忙でな」
「はやく、銕三郎さまに室をお迎えになり、家督を譲り、忙しさから解きはなたれれば、しばしば、おわたりになれますものを---。 銕三郎さまも、もう、お一人前でしょう。いっそ、雑司ヶ谷あたりに別屋でもお設けになれば、奥方さまも、駕籠ではなく、歩いておわたりいただけます」
「忠兵衛どのの申されることよ。わしもそうしたいが、お上の勤め、なかなかに手ばなれできかねて---のう」
「人間、おもいきりが肝心ですぞ。おたがい、50の坂にさしかかっております。命の財布にのこっておるのは、わずかな小銭ばかり---」
「ごもっとも---」
そこへ、お仲とお雪(ゆき 22歳)が酒肴と膳を運んできた。
「長谷川さま。奥方さま。こちらが、お引きあわせいただいたお仲です。若いほうはお雪。以後、ご入魂(じっこん)に---」
「忠どの。その節は、ご厄介をおかけし、申しわけなかった。世間の狭いわしのこと、頼るところは、忠どのしかなくての」
「よくぞ、この忠兵衛をおもいだしてくだされた。うれしゅうございましたぞ」
「お雪どのと、お仲どのと申されたか。銕三郎めがえろう世話になっておるようで、かたじけない。奥。その方からも、お礼を---」
(さすが、父上。ここでは先任のお雪の名を先にお呼びになった)
「銕三郎の母です。不束者(ふつつかもの)ゆえ、こんごとも、よろしゅうに、導いてやってくだされませ」
忠兵衛が、お雪と目でしめしあわせて、
「手前は、所要がごさいますので、のちほど、またうかがいます。ひとまず、失礼を。お仲がお給仕させていただきます」
出ていった。
お雪もつづく。
女中は、お仲だけがのこった。
軽い笑顔をたやしてはいないが、お仲の内心は、緊張しきっていた。
宣雄に酌をしていると、妙が、
「お仲どの。なんにも用意ができませなんだので、失礼ながら、わたくしが20代の終わりごろに仕立てた、いまの季節のものですが、よろしければ、普段着になと、お召しくだされ」
風呂敷に包んだままのものをさしだす。
妙の念のいったこころづかいに、お仲は緊張から安堵(あんど)に気分を切り替え、お礼を述べるべきであったが、一瞬、絶句していた。
おもいもかけなかった事態だったからである。
座敷での客のあれこれには、臨機応変、すばやくあわせてきていたのに、あまりにも、嬉しすぎた。
言葉よりも、嬉し涙のほうが先に応じた。
「もったいないことでございます。おこころづかいにお応えする、お礼の言葉も存じません。ただ、もう、嬉しゅうございます」
お仲は、こぼれる涙を手巾でおさえるのに精一杯。
「母上。拙からもお礼を申します」
銕三郎が、代わりに、深ぶかと頭を下げた。
「なにを申すのですか、銕三郎。そなたが不甲斐なくて、お仲どのに浴衣の一枚も買ってさしあげられないから、母が、代わりに---」
「しかし、母上。拙はまだ部屋住みの身でございますれば---」
「バカをお言いでない。両番筋(すじ)には、父子そろってお役におつきになっているお家もあります。銕三郎がもっとしっかりしていれば---」
宣雄がたしなめる。
「これ。奥。せっかくのご馳走を前にして、銕に発破(はっぱ)をかけては、お仲どのも給仕がしにくかろう。それぐいらでおいて、箸をつかいなさい」
妙も、平静にもどり、鮎の塩焼きに箸をつけかけると、お仲が、
「奥方さま。骨抜きをいたします」
新しい箸で身をほぐし、尾から骨をするりと抜く。
宣雄の分もそうして、橙(だいだい)をしぼる。
「ついでに、銕も、骨抜きに---いや。それは困るぞ。お仲どの」
銕三郎が苦笑し、座がくつろいだ。
「このお部屋へ入りましたとき、香が炷(た)かれているのに気づきました。先日、銕三郎の着物から匂ったのと同じような香気と、いま、合点しました。伽羅(きゃら)とは異なり、清涼な感じがふくらんでいるやにおもいます。お仲どの、なんという香木でしょう?」
妙の問いかけに、お仲は、密会の現場を見られたかのように、赤らんだ。
「寸間多羅(すまたら)とかいいまして、ずっとずっと南の海にあるスマトラとかいうジャガタラ国の島の香木だそうでございます。オランダの船で長崎へ運ばれたものと聞きました」
「なんだか、食がすすむ感じの香りですね」
「こちらは、屋号が〔橘屋〕なので、香りも酸っぱさ基調に、選んでいるのでございましょう」
「お仲どの。むすめごの---お絹さんでしたか。もし、よろしければ、長谷川の屋敷へおあげになって、作法などを身につけさせる気持ちがおありでしたら、そう、おっしゃってください」
「あの---」
「あと、5年も経てば、お嫁入りの年齢でしょう。長谷川のところで行儀作法を仕込まれたとなれば、商家でも迎えてくれましょう」
「おこころづかい、重ねがさね、たとよえもないほど、うれしゅうごさいます。このこと、本人とも相談の上、お願いにあがることにもなろうかと---」
「そのときの身請け人は〔橘屋〕さんに---」
「はい。そのように---」
まるで、きまったように笑顔のお仲。
「お仲どの。長谷川のような直参は、町方から嫁を迎えることはかないませぬ。わたくしも村方(ざいかた)の出ゆえ、いまだに婚姻がみとめられませぬ。さいわい、銕三郎だけは、嫡子として書留められましたが---。町方のおんなが産んだ子は、ふつう、嫡子には認められがたいのです。武家方への養子には行けます。お含みおき、くださいますよう」
お仲は、一瞬、虚脱したような目で、妙を見つめた。
(銕三郎さまのお子を産んでもいい、ということ? それとも、妾として認める、ということ?)
「それから、母の口から言うのもなんですが、銕三郎は下の人には慕われるのですが、齢上のおんなの人は別にして、上から目をかけられる術(すべ)が得意ではないようなのです。お仲どの。時折は、そのほうの師範もしてやってくださいませ」
銕三郎は、お仲と見合って、まばたきをくりかえした。
姉がやんちゃな弟を見るような目で、お仲は微笑んでいた。
困った、といった表情になったのは、宣雄だった。
(青〇=スマトラ島 鬼平のころに江戸で刷られた万国全図の部分 山下和正さん『地図で読む江戸時代』 柏書房 1998.10.15)
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