「久栄の躰にお徴(しるし)を---」(4)
「それは、男はんのおこころ遣いによる、おもいます」
小浪(こなみ 29歳)が言った。
銕三郎(てつさぶろう 23歳)が来て、口にしたことを聞くやいなや、ばたばたと店を閉め、お茶運びの小むすめも帰し、2人きりになってから、最初に口にした言葉だった。
「うちかて、そないに、こころ遣いしてもらいとお、おした」
突然、わが身とひきくらべたか、小浪が京言葉に変えた。
そのほうが、思い出を語るには、都合がよかったのであろう。
「なん年ほど、前のことだったのですか?」
「15年、いえ、16年になりますやろか---」
「---というと、小浪どのが---まだ、14か15?」
「13どした」
「えッ!」
小浪は、遠くをみるようなに目を細めた。
小浪が打ち明けた。
生まれたのは、琵琶湖の西の首にあたる西近江・雄琴(おごと)村の漁師の家だった。
父親は、小浪がまだ、浪(なみ)という名前だった12のときに、琵琶湖が荒れ、舟もろとも沈んだ。
昼も夜も働きづめだった母親も、浪が13になったばかりの春に病死した。
延暦寺の山下の末寺の使い女として引き取られたが、3日目には中年の役僧に手ごめにされた。
あまりの痛さ気も遠くなりそうだったが、役僧は容赦しなかったぱかりか、いま考えると、小波の泣き声にかえって興奮を高めたようであった。
泣き声をあげても、だれもこなかった。
(歌麿『歌まくら』 レイプに抵抗のイメージ)
翌朝、坊主たちが朝の勤行に起きる前に、供えてあった布施の包みをかすめて寺を出、大津へ向かった。
途中で出あった30男が、小浪の着物の尻のあたりに散っている血に目をとめ、旅人相手の一膳飯屋で話を聞くと、いっしょにこないかと、誘った。
京都の荒神口に太物を扱う小さな店もっていた男であった。
夜、簡単には寝かせてくれなかった。
が、痛さは、もう、消えていた。
男の裏の仕事は、泥棒であった。
浪は、見張りをさせられた。
男の名は、助太郎といった。
小金の隠し場所を知り、男が仕入れに出ているすきに、あり金を盗(と)って大原のほうへ逃げようとしていたら、中年の男に呼びとめられた。
「お前さん、その装束(なり)やと、すぐに見つかってしもうて半殺しにされる。悪いようにはせえへんから、わてのところに隠れなはれ」
その男が〔堂ヶ原(どうがはら)〕のお頭であった。
〔堂ヶ原〕のお頭は、躰を求めなかった。
ただ、引きこみに入った店の者になぶられたことは少なくなかった。
小浪の生まれつきの美形が、男たちをその気にさせるのである。
【ちゅうすけ注】〔堂ヶ原〕の忠兵衛親子は、『鬼平犯科帳』文庫巻16[見張りの糸]に登場する元盗賊。
盗みのいっぱしの手管をおぼえたところで、〔堂ヶ原〕の忠兵衛親子が一家を解散することになったので、退職(ひ)き金を分配され、ひとり働きとなった。
それで知りあった〔狐火(きつねび)〕のお頭とのくだりは、2008年10月23日[うさぎ人(にん)・小浪] (7)
「そやさかいに、うちには、初めてぇのときのええおもいちゅうのんは、おへんどしたんどす。長谷川はんが気ぃつこうてはるのんは、おのお方はんのためやろおもいますねんけど、あんじょうにしてあげておくれやす。うちからもお願いしぃます。おなごはんの一生のおもいでどすよってに---」
「その、あんじようを訊きにきているのです」
「そやなあ。ゆっくり、じっくり---おんごはんがその気ィになって燃えはるまで、ゆっくり、しいはることやおへんやろか」
「ゆっくり、じっくり---ですか」
「そうだす。ゆっくり、じっくり、たんねんに。たんとときをかけて。長谷川はんはお若ぅおすよって、気ぃがせきはらますやろけど、じぃっとこらえはって---」
「もう一つ、教えてください。温泉宿で---と言われています。どこか、おこころあたりの温泉は?」
「難儀どすなあ。ただ、旅にでぇはるのも気分が変わってよろしおすけど、なごう歩くのんは、初めてのあとのおなごはんにはきつおすえ。そや、船の旅やったら、初めてのあとかて、やさしゅうおすわなあ」
「船旅---」
「いまは季節が寒ぅおすよって、あと、2タ月もしたら、陽気もようなりますやろ。木更津へんなら、船でいけるし、温泉かておますやろ」
「木更津---おもいつきませんでした。あ、そろそろ、〔木賊(とくさ)〕のお頭のところの今助どのが見える時刻ですな。失礼しなくては---」
「なんや、しったはりましたん? 怖いお人やこと」
小浪は、形のいい唇を、小舌でちらりとなめた。
誘いこむような、色気たっぷりの仕草であった。
【ちゅうすけからのお願い】京都あたりにお住まいの鬼平ファンの方。小浪の京言葉のおかしなところをご訂正ください。
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