銕三郎、三たびの駿府(13)
「竹中さま。矢野さまと拙は、明朝六ッ(午前6時)に掛川へ向かいます。その留守中に、以下のことをお調べおきくださいましょうか?」
銕三郎(てつさぶろう 24歳)が、駿府町奉行所の見習い同心・竹中功一朗(こういちろう 22歳)に紙片をわたす。
伝馬町でも南のはずれにある旅籠〔柚木(ゆのき)屋〕の奥の間である。
一、〔五条屋〕の内儀・お勢(せい 40歳)の実家と婚儀の経緯(ゆくたて)。ごくごく内密に。
一、〔五条屋〕へくる肥え汲みの百姓と、師走に牛車や汲み取り権を貸した相手、その経緯。
一、この3年間に〔五条屋〕を辞めた者と<そのわけ。番頭・吉蔵(よしぞう 58歳)に内緒で訊くこと。
一、この3ヶ月のあいだに夫婦と幼な子で道中手形をとった者。
一、寺にとどけている人別で、この3ヶ月のあいだに夫婦と幼な子で人別をよその地へ移した者。
「しかと、承りました」
一読して功一朗が、ふところへ納めた。
「わしたちは、3日もしないで戻ってくる。それまでにすませておけ。言っておくが、小者にまかせたり、手先に言いつけてやらせるんじゃないぞ」
矢野弥四郎(やしろう 35歳)同心が、先輩らしく念を入れた。
「はい。肝に銘じまして---」
「いまの若いのは、返事だけは格好をつけているがな---はっ、ははは」
「矢野さま。拙もまだ、若い者のうちに入っておりますが」
銕三郎が、功一朗をかばって軽く抗議する。
「これは失礼つかまつった」
食事がすむと、2人ははやばやと帰っていった。
膳をさげにきた女中に頼んだ、
「女中頭どのに、手がすいたら、来てもらいたい」
半刻(はんとき 1時間ばかり)して、40がらみの女中がやってきた、
「お半(はん)と申します。なにか、ご用でございましょうか」
銕三郎は江戸の火盗改メのゆかりの者と身分をあかし、
「これから訊くことを、誰にも口外しないでくださるか?」
念をおす。
お半がけげんな表情でうなずいた。
「お半どのは、ここへ住みつきですか? 通い?」
「住みつきですが、自分の家はこの近くにあります。むすめが髪結いをやっております」
「それで、お髪(ぐし)がみごとに結(ゆいあがっているのですな」
「お上手ばっかり。でも、むすめの腕をおほめいただいて、うれしゅうございます」
「ご息女のところへは、何日おきに??」
「3日ごとでございます。お昼すぎの手すきのときに」
「ご息女のところには、いろんな話が集まっていましょうな」
「おんな客のたのしみは、噂話の交換ですから---」
(うさぎ人(にん)にぴったりの職業---)
「呉服町の小間物屋〔五条屋〕で買いものをしたことがありますか?」
「とんでもございません。私どもには手の出ないような上等のお品ばかりのお店です」
「あそこのご内儀のことを、ご息女のところで、なにか耳にしていませぬか?」
「なにか---とおっしゃいますと?」
「色ごとのような---」
「ご存じでございましょう? 店の手代とそういう店へ行っていることは---」
「その店の名が知りたかったのですよ」
「安倍川べりの弥勒(みろく)にある〔梅ヶ枝(うめがえ)屋〕だそうですよ」
「そうそう、〔梅ヶ枝屋〕〔梅ヶ枝〕。さすがに〔柚木屋〕いちばんのお半どのだ」(北斎『万福和合神』 お勢のイメージ)
「おだてても、こんなおばあちゃんだから、夜伽はいたしませんよ」
「それは残念。はっ、ははは」
「うふっ、ふふふ。本気にしますよ」
「いや。明朝、早いのでな。ところで、もう一つ訊いていいかな」
「いよいよもって、ひとり寝はできませんよ」
「このごろ、江戸から流れてきた年増のいいおんなで、雇い主が口説いたがなびかなかったって、艶消しの話を耳にしていませぬか?」
「あら、両替町の〔松坂屋〕五兵衛さんのことが、もう、江戸までとどいているんですか?」
「〔松坂屋〕といえば、両替商の?」
「いやですよ、このお武家さん、鎌をかけていらっしゃる---」
「すまないが、番頭さんを呼んできてくださらぬか。その前に、お半どの。いい話をいろいろとありがとう。ほんの寸志だが、おさめてくだされ。その、添い寝は、戻りの泊まりの夜までお預けということに、な」
【参照】2009年1月8日~[銕三郎、三たびの駿府](1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12)
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