銕三郎、三たびの駿府(6)
「なにしろ、与力が6騎しかいないので---」
わざわざの出役(しゅつやく)の礼を述べたあと、言いわけをした駿府町奉行の中坊(なかのぼう)左近秀亨(ひでもち 53歳 4000石)は、あとを、筆頭与力・河原頼母(たのも 53歳 80俵)へふってしまった。
すっかり禿げあがったて光っている頭に、もうしわけのような小さな髷(まげ)を、ちょこんとのせている。汗もでていないのに懐紙で額をぬぐうのと、扇子を2,3骨開いてはまた閉じるのが、町奉行の癖のようである。
「矢野同心が聞き取りました覚え書きは、ここに。〔五条屋〕の店主・儀兵衛(ぎへえ 45歳)と番頭・吉蔵(よしぞう 58歳)は、腰掛(こしかけ)所へ呼びだしてありますゆえ、のちほど、お聞き取りなさってください」
河原与力がそう言ったとき、中坊町奉行が、
「あとは、よしなに」
席を立って、出て行った。
(おれの素性も確かめもしないで。あれではやる気があるのかどうだか---)
銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、駿府町奉行が高級役人のひとつの通過職席であることを、見せつけられたおもいであった。
「なにか、ご質疑は?」
河原与力の言葉を待っていたように、町奉行所方の調書をぱらぱらと眺めていた有田祐介(ゆうすけ 29歳)が、火盗改メの同心の威厳を示すのはこのときとばかり、
「使用人が11名とありますが、犯行後に辞めていった者はありましたか?」
(引きこみのことを訊いているな。むだだ。賊は、竈(かまど)の土間につながる板戸を切って侵入しておる。引きこみが落とし桟をあけたのではない)
銕三郎は断じたが、黙っていた。
「奪われたのは、640両余とあるが、金種は訊きだされましたかな?」
「それは---」
「賊が引きあげたとおもわれる道筋の辻番所は、怪しい者たちを見ては---?」
「この府内には、辻番所はありませぬ」
「なんと?」
「お大名屋敷がございませぬ。武家といったら、勤番衆と町奉行所の者だけなのです」
「そうでありましたな」
銕三郎が、ゆったりと訊いた。
「ご城下に、荒神さまを祇(まつ)っている寺院か神社がございますか?」
「城下にですか? 存じませんなあ。火伏(ひぶせ)のお札は、伊豆・韮山の竈社のものを配っております。それと、遠江の秋葉さんのお札---」
「賊が竈の上に打ち付けていった荒神松ですが、大きさはどのていどのものでございましたか?」
河原筆頭与力も、矢野同心も、銕三郎の顔を見つめたまま、絶句した。
控えていた別の同心が腰掛所へ走った。
帰ってきて、
「3尺(90cm)ほとであったそうです」
「お手数をわずらわせますが、その松の小枝を、荒神松と申し立てたのは誰か、もう一度、儀兵衛とやらに確かめていただけませぬか?」
「飯炊きのお杉ばばあだったとか」
「矢野さま。お杉の身請け人を調べておいていただけますか? 生まれそだった土地、働いたことのある土地、連れそった男のこと---」
「承知つかまつった」
(中坊左近秀亨の個人譜)
【参照】2009年無1月8日[銕三郎、三たびの駿府](1) (2) (3) (4) (5) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13)
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