〔銀波楼〕の今助(5)
「浅田どの。しばらく、(浅草寺)奥山での蝦蟇(がま)の脂売りに戻っていただけませぬか?」
銕三郎(てつさぶろう 26歳)の問いかけに、浅田剛二郎(ごうじろう 33歳)は、さすがに解りがはやい、
「承知しました。〔衣板(きぬた)〕一家の有象無象が、浅草寺境内でいやがらせをしないように、見張るのですな」
「浅田の義兄(あに)ィまでまきこんで、申しわけねえ」
今助(いますけ 24歳)が謝った。
つられて、小浪(こなみ 32歳)も頭をさげる。
この茶店を売りにだして、〔銀波楼〕に今助といっしょに住むのが、よほどに気にいったらしい。
「録さん。鉄条いりの振り棒を、10本ばかり注文しておいてくれますか」
それまで、出番のなくて手持ち無沙汰だった井関録之助(ろくのすけ 22歳)は、
「いいとも。10本といわず、助っ人用に、もう10本、追加しておいてはどうですかね?」
【参照】2008年5月12日[高杉銀平師] (3)
「いきなり出入引(でいりひき 喧嘩)へもっていっては困る。双方ともに、出入りを避けるのが、ほんとうの元締です」
「銕(てつ)先輩。そんな悠長なことを言っていていいんですかい?」
「『孫子』に、およそ用兵の法は、戦わずして人の兵を屈するは、善の善なり---とあります。戦いは、最後の最後、しかも、勝てるとの方策がたってからしかけるものです」
「また、『孫子』だ。銕先輩は、このごろ、やけに『孫子』づいている---」
録之助がひとり言のようにつぶやいた。
【参照】2008年9月13日[中畑(なかばたけ)のお竜〕 (7)
2008年9月20日[大橋家の息女・久栄] (2)
2008年9月30日[書物奉行・長谷川主馬安卿(やすあきら)] (2)
(たしかに、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 32歳)をしってから、『孫子』を気をいれて読むようになった)
銕三郎は、胸のうちだけで、顔を赤らめる。
小浪が、それを見透かしたように、えくぼをつくった。
帰宅すると、父・平蔵宣雄(のぶお 53歳)が、筆頭与力・秋山善之進(ぜんのしん 50歳)、次席・内山左内(さない 47歳)と相談事をしているらしかった。
庭を通る気配を察したか、
「銕三郎か。ちょっとここへ」
障子の内側から声がかかった。
書院は、いまでは宣雄のご用部屋となってしまった。
いったん離れへ上がってから、久栄(ひさえ 19歳)にことわり、廊下づたいに書院へ入り、
「ただいま、戻りました」
秋山筆頭と、内山次席が席をあける。
「銕三郎。そちは下情(かじょう)に顔がひろい」
苦笑し、密偵が隠れ蓑にでき、人と噂が目と耳に入りやすい商売屋で、すぐに手にはいるところを知らないかと訊かれた。
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