〔からす山〕の松造(3)
「お勝(かつ)の後ろをお尾行(つけ)になりませんでしたね」
お竜(りょう 32歳)がうれしそうに言い、頭をさげた。
本所二ノ橋北詰りの軍鶏なべ〔五鉄〕の2階の東側の小部屋である。
【ちゅうすけ注】〔五鉄〕の2階には3部屋あり東側の小部屋は、のちにおまさ、そのあと彦十が住んだことは、『鬼平犯科帳』のファンで、知らない人はいまい。
このとき銕三郎(てつさぶろう 26歳)が、店主代行の三次郎(さんじろう 22歳)に、わざわざこの部屋を指定したのは、店の横の猫道から裏側へぬけ、板場の勝手口についている階段から2階へあがれ、店内の客の目に触れないですむからである。
お竜と会っていることは、秘めておきたかった。
何かの拍子に、久栄(ひさえ 19歳)の耳にはいりかねないので、供の〔からす山〕の松造にも、知られたくはなかった。
もちろん、松造には、自分たちはご公儀の秘密の任務についているのだから、見聞きしたことは死んでも洩らすことはあいならぬ---ときつく言い含めてはある。
それでも用心するにこしたことはない。
今夕も、入れこみで彦十と軍鶏なべをつついているように手配した。
いや、三次郎には、
「酔いつぶれるほど、飲ましてやってくれ」
用心に用心を重ねている。
そういうことだから、お竜は取りきめた時刻よりも小四半刻(約15分)ほど早くき、2階の小部屋で待っているように、お勝(いまはお宮 みや で通している 30歳)に言っておいた。
「お勝には、付け人がいたんだな?」
「大事な仕事は、一人ではさせせん」
「お竜どのと会うことが、大事な仕事かな?」
「銕(てつ)さまには大事でなくても、私にとっては大事なことです」
「そう、おもってくれるだけでも、うれしい」
「うそ。奥方さまのほうが---」
「それを言ってはならぬ。武家の家には武家のしきたりというものがある」
「はい」
お竜が、真剣なまなざしを銕三郎にそそぎ、
「木更津のお諏訪さまでお話しした、〔白駒(しろこま)〕の幸吉(こうきち 30がらみ)の身元を調べるために、お竜が望陀郡(まうたごおり)白駒郷(現・千葉県君津市白駒)へまいったことは、覚えていらつしゃいますか?」
「忘れてはおらぬ」
【参照】200余年5月22日[真浦(もうら)〕の伝兵衛] (2)
お竜を案内する形で助(す)てくれていた〔五井(ごい)〕の亀吉(かめきち 30男)が、幸吉の生家は、同村・熊野下の白駒社の脇にあることを、現地でたくみに聞きだした。
生家には、老父とこれもそれなりの齢の後妻がいるだけであった。
亀吉がそこそこの金をつつみ、
「江戸で幸吉どんから1年前に借りた金を返そうとしやしたが、引越してしまっていて、手がかりがつかめねえんで、五井にけえったついでに、親ごどのに預けておこうとおもいつきやして---」
と、深川の洲崎弁天ぎわの住まいを聞きだした。
江戸へ戻って、その住まいへ押しかけてみると、2日前に火盗改メが3人の安房者を捕らえただけで、幸吉は行方をくらませていた。
【参照】2009年5月27日~[真浦(もうら)〕の伝兵衛] (6) (7) (8)
「〔白駒〕の幸吉は、〔狐火(きつねび)〕一味に、何をしたのだ?」
お竜は、ちょっとのあいだためらったのち、意を決したか、
「ふなどめ盗(づと)めです」
「ふなどめ盗め?」
「銕さまは、小判鮫(こばんざめ)という魚をご存じありませんか?」
「見たことはないが、小判いただきともいうとか、耳にしたことはある」
「その鮫のようなお盗(つと)めをするのです。他のお頭が仕掛けたお盗め先を、先まわりして獲物を横取りしてしまうのです」
お竜が軍者(ぐんしゃ)として半年がかりで手くばりをした仕掛け先が、去年の暮れ、なにものかに先取りされた。
手配りの一つが、飯炊きにお杉(すぎ)とう老女賊を引き込みに入れたことであった。
あちこちの盗賊仲間をあたり、〔白駒〕の幸吉の線が浮かんできた。
それで、白駒村へ出張ることになった。
しくじったお杉を、お勝の芝居で白粉問屋〔野田屋〕の飯炊きに入れこんだが、どうも挙動がおかしい。
女の印があがっているのに、男ができ、これが最後の出事(でごと 性交渉)とばかりに、相手に入れあげているらしい。
その男は、どうやら、白駒〕一味の者と気がついたときには、その者たちが〔野田屋〕に押し入ってきて、真っ先にお勝がしばられた。
しかし、翌朝、逃げようとしたお杉は、〔狐火〕の者に捕まり、処分された。
「なるほど、そういうことだと、火盗改メとしては、〔白駒〕の幸吉が的になるな」
「銕さま。幸吉への仕返しは、〔狐火〕におまかせくださいますよう。そうでないと、このお竜の面目がたちませぬ」
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