宣雄、火盗改メ拝命(6)
「銕(てつ)。今宵、夜廻りをいたすが、伴(とも)をするか?」
平蔵宣雄(のぶお 53歳)が、高杉道場へ行く身支度をした銕三郎(てつさぶろう 26歳)を呼びとめた。
「今夜でございますか?」
「そう、申したはずじゃか---差しさわりでもあるのか?」
{いいえ。お供をいたします」
「五ッ(午後8時)発(だ)ちである」
「はい」
じつは、今夜は、久栄(ひさえ 19歳)が、隣家・松田彦兵衛貞居(さだすえ 64歳 1050石)の後妻・於千華(ちか 36歳)仕込みの、睦み・その2を実習することになっていた。
銕三郎はあわてて、夫婦の居室になっている離れへ引きかえし、久栄に、
「今宵は、父上の夜廻りのお伴を仰せつかってしまった。だから、その2の演技は、日延べとなった」
「楽しみにしておりましたのに---」
舌の先で唇をなめ、わざと不満そうな姿態(しな)をつくった。
それも、於千華の得意技の受け売りらしい。
10月も晦日近くなると、空っ風が冷たい。
久栄は、姑(しゅうとめ)・妙(たえ 46歳)から、6年前に火盗改メだった本田采女紀品(のりただ 52歳 2000石)の夜廻りのお伴をした鉄三郎が袷の下に着こんだ綿をいれて刺し子にした半纏を渡された。
それをうしろから着せかけるとき、久栄はわざわざ、銕三郎の胸に手をいれて撫ぜ、耳元でささやいた。
「明日の晩、その2を、きっと---」
辰蔵(2歳)がまわらない舌で、
「ちちうえ。ちょの2でちゅ」
「そう、その2だ、その2だ」
銕三郎は辰蔵の頭をぽんぼんと2つ叩いた。
【参照】2008年2月20日~[銕三郎、初手柄] (1) (2) (3) (4)
宣雄の乗馬の口とりは、若党・梅次(うめじ 22歳)である。
長谷川家の表紋の左藤巴を描いた高張提灯をもった小者が2人、刺股をかついだ者が3人、いまは若侍頭格の桑島友之助(とものすけ 38歳)、それにお頭の初めての夜の微行というので次席与力・小野史郎(46歳)、古参同心・等々力式部(しきぶ 51歳)に雨宮三次郎(さんじろう 26歳)と同心見習・横田八十二(やそじ 20歳)がしたがった。
一行が門をでるとき、久栄に手を引かれて見送りにでた辰蔵が、小さな手をふり
「父上、ちょの2でちゅ」
高橋をわたって小名木川ぞいに大川へ向かったとき、宣雄が銕三郎を呼び、馬上から、
「辰(たつ)が、ちょを煮る---と言っていたようだが、〔ちょ〕とはなんであるか?」
「一向に、わかりませぬ。若奥がなにごとか、吹きこんだのでしょう」
銕三郎が胸のあたりに冷や汗を感じたのは、暖かい刺し子の半纏のせいではなかった。
「〔ちょ〕---山鯨(やまくじら)の猪(ちょ)のことではあるまい」
「あ。軍鶏(しゃも)やもしれませぬ」
「〔五鉄〕のな、はっ、ははは」
宣雄は、意味ありげな笑い方をした。
(お竜(りょう 32歳)のことが発覚(ば)れたか。まさか)
先行して、先々の辻番所に、火盗改メのかお頭じきじきの夜廻りを告げているら者がいるしい。
どの辻番所も、全員が出迎え、口ぐちに
「変わりはございません」
(これでは、微行にならないな)
銕三郎は、自分が火盗改メになったときの微行について、案を練りながら歩いていた。
長さ128間(230m)の永代橋をわたりきったところで、日本橋川の河口をまたいでいる豊海(とよみ)橋にかかる。
日本橋川の北側は本役の持ち場だからである。
助役(すけやく)の受け持ちは日本橋川以南であった。
今夜の見廻りは、豊海橋の南側の霊岸島の町屋の通りであった。
亀島橋ぎわの番小屋で、羽織袴の町(ちょう)役人たちが出迎え、縄つきの男をさしだした。
20歳をすぎたばかりで、色が褪(さ)め、膝が破れた紺の股引のその男は、昼間、菓子屋の饅頭を2ヶ盗んだために、近所の若者たちに捕まったという。
宣雄は、その男を丁重に受けとり、桑島にいいつけ、茅場町の大番屋へ明日まで預けに行かせた。
役宅へ帰ってから、銕三郎が、
「あれが儀式でございますか?」
と訊くと、
「そうだ。町役人たちは大真面目で、歴代の助役に、ああして芝居じみたことを振舞っているのだ。だから、こちらも、役柄を演じてやらないと、あとあと、協力してくれない。覚えておけ」
(また一つ、教わった)
銕三郎は、頭をさげて離れに戻った。
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