与力・浦部源六郎(4)
「つかぬことをお伺いして、よろしいでしょうか?」
新しくきた銚子で浦部源六郎(げんろくろう 50がらみ)に酌をしてから、銕三郎(てつさぶろう 27歳)が訊いた。
浦部も酌を返して、
「どのようなことでしょう?」
「東のご奉行の酒井丹波(守 たんばのかみ 忠高 ただたか 61歳 1000石)さまの世評といいますか、お人柄など---」
「こちらから、お尋ねしてよろしいでしょうか?」
「は--?」
「酒井ご奉行は、京都においでになる前は、奈良のご奉行を4年ほどおやりになっておられます。その前の7年ほどは先手・鉄砲(つつ)のお頭をお勤めになり、その間に、火盗改メ・加役もなさっております。そのときのお勤めぶりはいかがでしたか?」
銕三郎は、言葉につまった。
酒井丹波守が助役(すけやく)とはいえ、火盗改メをやっていたことはしらなかった。
「酒井さまが火盗改メをお勤めになりましたのは、いつごろのことでしょう?」
「宝暦11年(1761)の秋からと---」
(やはり、この与力はただものではない。この記憶力---)
(お芙佐(ふさ)に男にしてもらったのは、14歳であった)
【参照】2007年11月16日[仮(かりそめ)の母・お芙佐(ふさ)]
「ご元服はおすみでしたな?」
「はい」
「お噂が、お耳にはいっておりませぬでしょうか?」
「助役だと、春には解任ですな。その秋からの助役の本多采女(紀品 のりただ 49歳=当時 2000石)さまのお手伝いは、いささか---」
【参照】2008年2月20日~[銕三郎、初手柄] (1) (2) (3) (4)
「そちらさまが、名おうての盗賊逮捕の手だれとの{噂が都まで聞こえており、奉行所の者たちは、おおいに期待しております」
「世評ほど、あてにならないものはありませぬ」
ごまかしたが、
(うまく、逃げられた)
浦部が、おもった以上にしたたかな能吏であることが、父のためによかったともおもった。
浦部与力に代わって、酒井丹波守忠高の個人譜を掲げておく。
(酒井丹波守忠高の個人譜)
いささかの説明を付すと、忠高は、17歳で養子にはいった。
若くして未亡人になった義母は、さっさと再縁を求めて家を去った。
相手は、細井伝次右衛門勝為(かつため 33歳=再縁時 1200石)だが、この仁、その後、再後妻、再々後妻を娶っており、酒井家からの後妻が病死なのか、離縁なのかは記録がない。
丹波ま守忠高の妻は、上記の妹であった。
人柄は、温厚で、自分から発言することはほとんどなく、衆議にしたがうことが多かったという。
そんなことから、御所役人の不正も見逃されたのかもしれない。
留守宅の向柳原・新(あたら)シ橋新道の屋敷が行人坂の大火で全焼したことも、よけいに無気力に輪をかけたか。
独断を記すと、西町奉行・太田播磨守正房(まさふさ 59歳 400石)は、細かく気がまわるタイプで、挙措にそつがなく、上の受けも、公家(くげ)側の評判もよかった。
【ちゅうすけ注】西町奉行・太田播磨守正房(まさふさ 59歳 400石)の[個人譜] ←クリック
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コメント
いつものことながら、幕臣の『寛政譜』をつけてくださるので、町奉行や幕僚が身近な存在になってくれます。
もちろん、『寛政譜』だけ示されても意味はうまれませんが、ちゅうすけさんの解説とともに見るから、身近になっていることはいうまでもありません。
鬼平のブログやホームページは数ありますが、このブログほど充実していて、日本歴史と関連つけてすすめられるのは、ほかには見当たりません。程度が高すぎ、という人もありましょうが、これからもいまのレベルでつづけてください。ファンはふえるとおもいますよ。
投稿: 文くばり丈太 | 2009.08.14 06:09
>文くばり丈太さん
いつも、すてきなコメント、ありがとうございます。
『寛政譜』は、うるさいかに---とも思いながら、のちのちの鬼平ファンの方々が調べものをなさるときのデータにとおもって、附けております。
もっとも、、つくるのが大変で、そのために、朝4時にオフィスに行くことがしばしばです。
今後とも、いろいろ、ご叱正ください。
投稿: ちゅうすけ | 2009.08.14 17:43
わざわざ、おほめいただき、おそれいっております。
なにしろ、時代小説が好きであれこれ読んではおりますが、池波先生のものが、いちばん、自分に合っているように思ってきました。
先生がお亡くなりになってからは、再読、三読していましたが、ちゅうすけ様のこのブログで、『鬼平犯科帳』と長谷川平蔵がさらに深められるばかりか、江戸幕府の真の姿に触れられるようで、毎日、新鮮な感激をあじあわせていただいています。感謝するのは、手前のほうです。
投稿: 文くばり丈太 | 2009.08.15 05:53