〔須佐十(すさじゅう)〕の茂三
「お役目、ご苦労さまでございます」
平蔵(へいぞう 28歳)を火盗改メの役人とおもいこんでいる手代の富雄(とみお 23歳)は、商人らしくつくり笑いをしながら、これもお義理のあいさつを口にした。
「手代さんは、たしか、富雄とかいいましたな?」
「さようでございます」
「何を調べているとおもうな?」
「お上のことは、とんと---」
「番茶を調べているのさ」
「番茶? 番茶が賊とかかわりがございますのですか?」
富雄の声には、安堵の色がこもっていた。
「手代さんは、酒は?」
「はい、ほんの少々---」
「賊がきた夜の祝い酒は?」
「ご主人さまのお祝いごとでございましたので、盃に3杯ほどいただきました」
「あと、番茶を飲んだかね?」
「いえ。夜中に厠へ起きるのが好きではございませんので---」
「なるほど---」
平蔵が確かめるように富雄をみつめると、目をそらせて、
「ご用がおすみでございましたら、表の仕事がたてこんでおりますので、失礼させていただいて、よろしゅうございましょうか?」
「いや、足をとめさせて悪かった。番茶のことは、ほかにもらさないように、な」
かしこまった富雄が炊事場から店のほうへ去った。
姿がすっかり消えたのを見すまし、
「婆ぁさん、あの手代さんは、ふだんでも晩飯のあとに、茶を飲まないのかな?」
「そういえば、ここ10日ばかり、飲まないようでございましただ。茶碗にのこしておりましたけに」
「10日ばかりな。これで、夕飯のあと、出かけることは?」
「ときどきでございますが、そのあたりの様子をおぼえるというては、1刻半(3時間)ばかり。おおかた、好きなおんなにでも会いにいっとるんだわさ」
その足で、万年橋東の庄田小左衛門安久(やすひさ 41歳 2600石)の役宅を訪ねた。
先手・弓の3番手の庄田組は、火盗改メの助役(すけやく)を勤めている。
同心・脇田祐吉(ゆうきち 29歳)は見廻りにでており、筆頭与力・古郡(こごおり)数右衛門(52歳)が会ってくれた。
先日、脇田同心に、大工の〔木曾甚〕の声がかりで藍玉問屋』〔阿波屋〕の土蔵の新築にかかわった左官職〔須佐十(すさじゅう)〕かかえの職人で、その後、いなくなった者はいないか、調べをたのんでおいたのである。
(左官職・部分 『風俗画報』明治29年(1896)4月10日号 塗り絵師:ちゅうすけ)
古郡筆頭がもたらしたのは、中塗りのうまい茂三(しげぞう 30がらみ)という渡りの鏝(こて)職が暇をとっていたという。
茂三は、6ヶ月ほどまえにふらりとやってき、その中塗りの腕がいいのですぐに話がきまった。
むっつりした男で、職人たちが酒や博打、おんな買いさそっても、首をふるばかりで交際(つきあ)わなかった。
〔阿波屋〕の仕事のときは、すすんで残業をもうしでた。
(そのときに、金蔵の錠の蝋型をとったな)
しかし、表のくぐり戸の桟はずしは内の者でなければできない。
近づき、抱きこむ手はずがとられたにちがいない。
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