竹節(ちくせつ)人参(5)
「若---いえ、お殿さま。今市の植え場の主・大出さまは、来春に種を播くのではおくれすぎではなかろうかとおっしゃいました」
日光から帰ってきた太作(たさく 62歳)が報じた。
人参は、秋口に赤くなった種を、湿りけをたやさない土になじませ、11月の中ごろに種がわれて糸のような根がでたら、苗床へ植えるのが上策だと。
つまり、いまから種を播いても、発芽はほとんどしないのが、朝鮮人参も、それによく似た性質の竹節(ちくせつ)人参もだということが、いくたの失敗を重ねたすえにわかってきていたのであった。
「爺(じい)よ。そのことは、平賀源内(げんない 45歳)先生からも注意をうけた。爺が寺崎に旅たつ前日に、種播きしてある土を、油紙につつんで届けてくださることになっている」
「それでは若、あさってにも、寺崎へ参り、苗床をつくります」
あわてた太作は、
「お殿さま」
といいなおすこともしないで、旅立ちを宣言した。
平蔵(へいぞう 28歳)もいささかあわて、松造(まつぞう 22歳)の名を口にのせかけ、旅づかれしていると気がついたので、若党・梅次(うめじ 24歳)を呼んだ。
【参照】2009年6月19日[宣雄、火盗改メ拝命] (6)
「仙台堀の上(かみ)ノ橋北詰、仙台藩の蔵屋敷は存じておろう、あそこで寄宿してエレキテルを直しておられる平賀源内先生に、太作が明後日に上総(かずさ)の寺崎へ旅立つゆえ、人参の種を明日までにご用意願いたいとお願いしてきてくれ」
半刻(とき 1時間)もしないで戻ってきた梅次は、明日の四ッ(午前10時)には用意しておくが、教えなければならないこともあるゆえ、かならず本人が参るようにいわれたと、源内の言葉を伝えた。
「爺。拙も参るからなにも案じるでないぞ」
太作が荷づくりのために去ると、入れ替わりに松造が入ってきた。
旅でのこころづかいをいたわってやると、
「殿。太作さんは、〔荒神(こうじん)〕の助太郎のことをお耳にいれなかったようでございますな」
「あわてていたのであろうよ。齢をとると、つい、いままで気にかけたいたことも忘れがちになるものだと、高杉銀平(享年67歳)先生も、晩年にはよくなげいておられた」
平蔵は、太作が速飛脚でよこした報告のことは、松造にはいわなかった。
松造が、どのような見方をしているかに興味があったからである。
松造によると、宇都宮城下で太作が探索費をわたしたて依頼したのは、旅籠〔羽黒屋〕があった戸祭町iに近い材木町の観専寺裏に住んでいる十手持ちの瀬兵衛(せべえ 30がらみ)のことを、
「あれは、郷方(さとかた)によくいる、悪のほうの十手持ちでございますよ」
そう前置きして、太作の横で聞いていたことを話した。
それというのも、京都で、〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 55がらみ)一味の捕り方に加わったことがあったので、自分にもかかわりがあるとおもいこんでいるのである。
【参照】2009年9月13日~[同心・加賀美千蔵] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
「せっかく、手前がつきとめた盗人宿を、見張っているだけでいいのに、手柄を独り占めにするつもりだったのでしょう、隣近所を聞きこみまわり、気づいた助太郎は、一味の煙草屋とともに消えちまったのです」
このことは、太作の書状に書かれていた。
「それで、手前は、盗人宿にややもいたかどうかを、たしかめました」
「ほう。松造も、なかなか勘どころをおぼえてきたな」
ほめられた松造は、
「しかし、ややの声も、おんなの姿も見られてはおりませなんだ」
「それは残念。しかしな、松も、そのことで、聞きこみのむずかしさをこころ覚えたであろう」
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