内藤左七直庸(なおつね)(3)
「ようこそ、お越しになされた---」
牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ 55歳 800俵)の、牛込築土下五軒町の屋敷である。
西丸・書院番第4の組---つまりは、長谷川平蔵宣以(のぶため 29歳 400石)が属している組の与(くみ 組とも書く)頭を2年前から勤めているご仁である。
平蔵が出仕前の去年、茶寮[貴志〕へ招待して、恥をかいた。
その顛末は、↓
【参照】2010年2月1日~[与頭・牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ] (1) (2) (3)
いうなれば、老獪、硬骨、遠謀のご仁である。
こんども、柳営で、書院番第3の組にいる盟友・長野佐左衛門孝祖(たかのり 28歳 600石)の愛人の住まいの件で、平蔵もかかわりがあるとの中傷があり、兄として私淑している西丸・目付の佐野与八郎政親(jまさちか 41歳 1100石)の助言で、牟礼与頭に伺いをたてたところ、双方が非番の日に屋敷へくるようにいわれた。
城中での威厳は、まったく消している。
で、平蔵も、つい、気をゆるし、
「飯田町中坂下に、父の代から懇意にしている料亭〔美濃屋〕へお運びいただこうとも考えましたが、また、おさとしをいただくのも---と存じまして」
「なに、足場は中坂がいいが、手前としては、料理人までも寄越しされた、一橋北の茶寮〔貴志〕の女将---なんというたかな---」
「里貴(りき 30歳)---と」
「そうそう。あの里貴女将に、いまいちど会い、あのときのこころないやり方を詫び、料理人のお礼もいいたい」
牟礼与頭は、遠くを眸(み)るように目を細めた。
(ここで調子にのって、お招きしますなどと申してはならぬ)
平蔵は自分をいましめ、
「第3の組の内藤(左七尚庸 なおつね 64歳 465石)与頭さまから、なにかお話がございましたでしょうか?」
嫁にだしたむすめの愚痴を柳営内にもちこんだ藤方家へは、若年寄から注意がくだされ、たとえ脇腹を借りようと、子をふやしておくことは、幕臣として当然の務めであるにもかかわらず、主人の子を宿している者を追い出すとはもってのほか---と、妬心(としん)をきつくたしなめられたという。
【ちゅうすけ注】戦国時代の名残りで、兵士は多いほど国力になるとのいい訳で、武士はいいおもいを享受できた。
牟礼与頭は、平蔵が盟友のために拠出した金子の出所の詮索はしなかった。
亡父・宣雄の力量とともに、知行地の新田開拓、理財の才についてもよく知られていたからであろう。
「そういたしますと、長野佐左衛門にはお咎めはないことに---?」
「そうではない。家政もできないようでは、一家の主人としての力量が足りないというお叱りがあった」
「妬心はおんなの武器でございましょう」
「男の妬心は、地位に向かっているだけよ。とくに役人は、な」
「しかし、その妬心がありますゆえ、男は仕事に精をだします」
「そうであればよいが、の」
そろそろ辞そうかとおもったとき、
「勤め向きには馴れたかの?」
「なかなか、でございます」
「書院番士としての箔は、進物のお役につくことでありますぞ」
眸(め)の光が違っていた。
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