長野佐左衛門孝祖(たかのり)(4)
「1刻(2時間)ほど前に、権七(ごんしち 42歳)どのから届きました」
帰宅すると、久栄(ひさえ 22歳)が木綿の巾着をさしだした。
ずいぶんと重い。
懐紙の上にひろげると、15枚(240万円)ほどの小判のほかに、2朱銀(2万円)がざっと80ヶ(160万円)ばかりあった。
゛
「権七はなにか言っていたか?」
「持参くださったのは、権七どのではなく、お店の加平(かへえ)さんとかいう、23,4のいい若い衆でした」
「加平なら、ほかに書付を置いていったろう?」
久栄が文函(ふみばこ)から紙片をだした。
「久栄。勝手(家計)が苦しいことはわかっておる。しかし、小判の15枚は、あることにどうしても必要なのだ。小粒の半分は、そなたにわたす」
平蔵(へいぞう 29歳)は、長野佐左衛門孝祖(たかのり 28歳)と愛人・お秀(ひで 18歳)のことは話さない。
ただ、湯島天神下の元締〔〔般若(はんにゃ)〕の猪兵衛(いへえ 27歳)にどうしてもわたさなければならないのだとだけ打ち明けた。
(友に交わるにはも三分(ぶ)の侠気(きょうき)を帯(お)ぶべし---というではないか。もっとも、こんどの場合は3分(12万円)ではすまなくて、17両(270万円)ほどについたが)
内心で苦笑した。
『菜根譚(さいこんたん)』の3分の侠気は金銭の単位でなく、与謝野鉄幹作詞とつたえられている「人を恋うる歌」の{友選ばば書を読みて、六分の侠気四分の熱---」の侠気---男ぎであることはいうまでもない。
「湯をお使いなりますか?」
「いっしょに入るか」
「ご冗談を。ここは向島・寺嶋村の寓家ではありまませぬ。湯殿も手狭だし、家臣たちの目もあります」
久栄が嫁入りしてきたとき、7日ほど、〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 49歳=明和6年 1769)が、初夜をお2人きりでお楽しみになさいと貸してくれたのが、寺嶋村の寮であった。
勇五郎の趣味で、湯殿がとくべつに広く、湯桶も2人が入って戯(たわむ)られるほどの大きさに造りかえてあった。
【参照】2009年2月16日[寺嶋村の寓家] (4)
2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] (1) (2)
湯を使っていると、久栄が浴衣すがたで入ってき、
「背中をお流しします」
浴衣を脱ぎ捨て、腰掛けを指さした。
「おいおい。家臣たちが笑うぞ」
「殿の背中をお流しするのは1年ぶりです」
「あとが怖いな」
「流しのお手当ては寝屋でお支払いいただきます」
「やっぱりな」
「はい」
笑顔にすごみがでていた。
しばらくぶり見ると、腰のまわりの肉づきが太くなっている。
若年増の体形であった。
抱いているときには、それほどとはおもえないのたでが。
辰蔵(たつぞう 5歳)と初(はつ2歳)を産んだ腹の線は、いくらかたるみ気味であった。
湯桶の中から手をのばして乳房にさわり、下へおりて芝生の先端を軽くなぶり、
「3人目が、入っているのではないのか?」
「なにをおっしゃいますか、種もお播きにならないでおいて---」
平蔵の指をとって割れ目にみちびき、挑発した。
(酒は古酒、おんなは年増というけれど、久栄も子を2人もなし、年増の域に片足はいってきている。今宵は若年増を堪能させてもらうか)
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