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2010.05.01

〔蓑火(みのひ)〕のお頭(14)

「あの2人だ」
南伝馬2丁目の東側の路地に身をかくし、向いの両替商〔門(かど)屋〕喜兵衛方の表をひそかにうかがっていた長谷川平蔵(へいぞう 30歳)が、旅姿の若者2人に告げた。

〔門屋〕の店先でも、2人の旅姿の男が、店の衆たちに見送れていた。
見送られているのは、手代・由三(よしぞう 19歳)と下男・岩次郎(いわじろう 52歳)であった。

昨夕、突然、べつべつに番頭・富造(とみぞう 66歳)に呼ばれ、取引先の信濃・佐久郡の岩村田城下の同業〔春日屋〕へも分厚い書き付けの包みをとどけるようにいわれた。
岩次郎は、その供の者ということで、道中手形も用意されていた。

日本橋橋を北へわたっていく2人を尾行(つ)けるのは、万吉(まんきち 24歳)と啓太(けいた 20歳)であった。

日本橋をわたると、由三岩次郎の下僕のように入れ替わった。
そして、中山道へつながる道を、なぜか西へ折れ、一石橋を堀沿いに竜閑橋へ向かった。

はん。こら、荒物屋へ行くつもりや」
「そうらし、おすな」
尾行(つ)けている2人のささやきである。

荒物屋が見張れる足袋・草履屋で休んでいると、2人が出てきた。
毛むくじゃらな〔尻毛しりげ)〕の長助(ちょうすけ 31歳)はあらわれなかった。

6月(旧暦)の日差しが強まる中を、板橋宿まで尾行(つ)けた万吉啓太は、街道ぞいの茶店でひと休みしてから、江戸へ引き返した。
尾行は板橋宿まででいいと、平蔵からきつく言われていたからである。

だから、このあとは、ちゅうすけが尾行するしかない。

板橋宿で休まなかった2人は、浦和宿はずれで、昼餉(ひるげ)にはまだまがあるというのに、小じんまりとした商人(あきんど)旅籠〔蓑(みの)屋〕へ入っていった。

ここは、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 54歳)が中山道ぞいの10数ヶ所にかまえている商人旅籠兼盗人宿のひとつで、小頭の一人---〔五井(ごい)の亀吉(かめきち 35歳)が、熊谷宿の旅籠〔蓑(みの)屋〕ともに預かっていた。

事情を聞いた亀吉は、離れの〔殿さま栄五郎(えいごろう)を呼び、知恵をかり、指示をあおいだ。
「なんで、発覚(バレ)たとおもうかいのう?」
「火盗改メ・本役組の与力が、〔門屋〕の主人・喜兵衛(きへえ 55歳)に会いにきたということでやす」
岩次郎が応え、岩田村城下の〔春日屋〕へという、厳重に包装されてどっしりとした紙包みを差し出した。
じろりと一瞥した栄五郎は、
「このまま、手つかずで〔春日屋〕へとどけんと、いけん」

2人が出立すると、亀吉はことの次第をしたため、京・五条大橋東詰にある宿屋〔藤や〕へ速飛脚に託した。
〔藤や〕は、このところ、〔蓑火〕の本拠となっていた。

日照りのつづき4日後の夕方、岩次郎由三は岩村田城下へ着いた。
中山道沿いの岩村田(現・佐久市)は、江戸から41里、500戸ほどの家が小さくまとまった、内藤志摩守正興(ただおき 32歳 1万5000石)が統治する城下町であった。

両替為替商〔春日屋〕は、ニ宮明神社の前に、間口3間の店を構えていた。
江戸の〔門屋〕から届けられた紙包みをひらいた主人は、ぎょっとした面もちで2人を瞶(みつめ)た。

中にあったのは、たった一枚の紙片と仕舞い金(しまいがね 退職金)2両(32万円)にすぎなかった。

「わけあって、由三岩次郎をお戻しいたします。
商いはこれまでどおりにつづけさせていただきます」


参照】2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] () (10) (11) (12) (13) (15) (16

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