〔蓑火(みのひ)〕のお頭(16)
一方、こちらは、小網町2丁目の料理屋〔肴屋〕の2階座敷での昼どき。
もてなし側は、南伝馬町2丁目に為替両替の店をかまえている〔門(かど)屋〕の店主・嘉兵衛(かへえ 55歳)と一番番頭・富造(とみぞう 66歳)であった。
客側は、長谷川平蔵(へいぞう 30歳)と万吉(まんきち 23歳)と啓太(けいた 22歳)。
信濃の岩村田城下の同業〔有田屋〕から顛末の大要を報せる速飛脚便と、火盗改メからの達しによって危険が去ったことを確認した嘉兵衛は、平蔵にお礼の伺いをたてた。
「立役者は、万吉と啓太であるから、2人ともどもであれば、お招きに応じる。ただし、非番の日の午後は剣術のおさらいをみなければならないから、昼餉にしていただきたい」
〔門屋〕とすれば、昼飯なら酒もつけなくてすむから安くあがると喜んだ。
(小網町の料理の〔肴屋〕)
鯉の洗いと精進揚げなどの食事が一段落したところで、嘉兵衛が用意していた金包みを、
「失礼でございますが、手前どもの寸志でございます」
差し出すと、平蔵は、
「お志だけ受けます。これは、この場で2つに割り、万吉どんと啓太どんへの餞別ということにしてくだされ。2人は、明日、京へ戻るのです」
「気がつきませず、失礼いたしました」
富造が後ろむきになり、5両(80万円)ずつに包みなおした。
「〔門屋〕どの。拙への礼をくださるお気持ちがおありなら、銭相場と為替の仕組みの才覚と、秘伝をお教え願いたい」
「造作もないことです。富造どんが何10年にもわたって会得した知恵を、つつみかくさす、お話しいたしましょう、が、お武家さまが、なにゆえに、金銀相場などのことを---お勘定方へでも---?」
「いや。わが長谷川家は、大権現(家康)さまのときから両番(書院番と小姓組)と申す番方(武官系)の家柄でしてな。まかりまちがっても勘定方にまわされることはない」
「それなのに---?」
「ご疑問はもっともなれど、番方だからといって、勝手方(財政)にうとくていい、というものでもあるまい」
礼金を断り、金銀相場の裏の裏を知りたいという平蔵に、嘉兵衛は興味をもった。
(この若者、ただの武家でおさまる仁ではない。きっと計略家におなりになるであろう。これをご縁に、つきあいを深めておこう)
【ちゅうすけ注】この日から16年後、人足寄場を建議し、その創設と運営をまかされた平蔵が、2年目に予算不足から銭相場に手をだして400両をひねりだしたのも、隠居していた〔門屋〕嘉兵衛の入れ知恵によったとおもわれる。
【参照】2007年9月19日[『よしの冊子』] (18) (31)
2009年5月5日{相良城・曲輪堀の石垣} (2)
2005年1月16日[〔初鹿野(はじかの)〕の音松]
万吉と啓太が江戸を発つとき、刷りあがったばかりの〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 55,6歳)とお賀茂(かも 36,7歳)の人相書を15枚、〔左阿弥(さあみ)〕の若元締・角兵衛(かくぺえ 43,4歳)と東町奉行所の同心・加賀美千蔵(せんぞう 32歳)、それに箱根関所の足軽小頭(こがしら)・打田内記(ないき)にわたすようにもたせた。
【参照】2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15)
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